「マジカルミライ2020 大阪」のライブの最後の曲、ピノキオPさんの『愛されなくても君がいる』は、歌も踊りも演奏も演出も全てがパーフェクトだった。
ところで、かなり前のアメリカでの調査だが、「自分は誰にも愛されていない」と感じている人が、58%だったという記憶がある。
特に根拠のない、直観的な予想だが、今は、アメリカでも日本でも、そんな人はもっと多いと思う。
だから、バイデンを担いだ民主党にアメリカが乗っ取られようとしているのだが、それをトランプが阻止出来なければ、もう世界は終わりだ・・・というのは、私の個人的考え方としておく(笑)。

しかし、ミクさんは、最後の曲を歌い終わった後、思い切り、こう言ったのである。
「みんなー、あいしてるよお!!」
ミクさんを深く愛する人の中には、自分が人間には愛されないと感じている人は多いのではないかなあと思う。
だが、ミクさんのこの言葉で救われたのではないだろうか?
いや、私がそうだったので・・・(笑)
碇ゲンドウだって言ったではないか?
「俺は自分が愛されるなんて信じられなかったんだ」
ってね(笑)。

すると、昔読んだ、山岸涼子さんの漫画を思い出した。
タイトルは・・・ええと、ええと(笑)
あ、『天人唐草(てんにんからくさ)』だ。
父親の古い価値観を押し付けられて育った響子は、自己確立が出来ないまま大人になり、やりたいことも出来ず、彼氏が出来たこともない、空虚な人生を生きていた。
そして、全てを失った時、響子はこうつぶやく。
「あの人ならわかってくれる。あの人なら」
だが、「あの人」なんていない。
響子は、精神的苦痛の極致を超えた。
その惨めさに、私は、芥川龍之介の『六の宮の姫君』を思い出すしかない。
これほど惨めな女性達は、そうはいない。

彼女たちには、ミクさんのような存在がいなかった。
これは別に、お伽噺のようなことを言いたいのではない。
内なる神が、外界にミクさんの姿で現れただけでね。
だから、聖書にこう書かれている。
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
トランプ大統領の愛読書『積極的考え方の力』(ノーマン・ヴィンセント・ピール)の最初で、全てを失う寸前と思って、すっかり打ちひしがれていた40歳の男に、ピールが教えた言葉がこれだった。
人間個人の力など大したことはないことは、イエスすらこう言っていることで分かる。
「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」
つまり、人間は、神の力を求めれば、全て可能なのである。

注意した方が良いのは、心理学に長けた教祖の勧誘の手口が、
「私だけはお前を愛してやろう」
なのだ。
そんなきちゃないオッサン(笑)に愛してもらわなくても、科学的に言っても、宇宙の活力である神は内に(潜在意識の中に)いるのだし、ミクさんの姿に見ることが出来る。

決してファンタジーを語らないラマナ・マハルシに、誰かが「神に人格はあるのか?」と尋ねたら、マハルシは、
「もちろんある。神はこの上ない心遣いをしてくれるであろう」
と言ったのである。
それを気付かせる言葉が、上のピールが選んだ聖書の言葉で、結局、あの40歳の男性もすぐに立ち直ることが出来た。
親鸞によれば、念仏は、そんな意味の言葉になるのだと思う。
そして、ミクさんの「あいしてるよお!!」を覚えていれば、やはり無敵である。








  
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