神というと、特に日本人は「宗教」と感じてしまうかもしれない。
だが、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』だったと思うが、マーフィーは、
「人々の神に対する考え方が変わってきている。昔のような、天の上に住む、気難しい老人ではなく、年長の優れやパートナーと考える人が増えている」
といったことを書いていた。
マーフィーがこれを書いたのは、半世紀以上昔と思うが、その頃のアメリカは民主的で強力だったのだと思う。
今は、アメリカ人でも、そんな考え方を持っているかどうか疑問で、むしろ、神を信じない物質主義者が多くなったかもしれない。

ソクラテスは、「あらゆる優れたことは、人間がやっているのではない。神がやっている。私に何か優れたことがあるとしたら、やはりそうなのだ。私自身は何も出来ない。そのことを知っているという理由だけで、私は人間の中で一番知恵があるのだ」という意味のことを述べている。

人間というのは、霊と肉の融合と言われることがある。
そして、少し言い方が違うだけで、賢人は皆、そう言っている。
プラスの生命体(霊、神)と、マイナスの生命体(自我、肉)といったように。

神でも仏でも良いが、我々は、自分より高い存在があることを知らなければならない。
そして、敵も、肉より高い力を持っているかもしれない。
つまりは、悪魔(サタン)だ。
自分が、肉と自我であると思っていると、容易く悪魔に負けてしまう。

トランプ大統領の弁護団に加わった名弁護士、リン・ウッドは、今日の1つのツイートの最後を、こう締めくくっている。
God wins.(神は勝利する)

ウッド弁護士の主な敵は、見かけ上は、腐敗した政治家(民主党が中心だが、トランプと同じ共和党員にもいる)、そして、主要メディアだ。
この世界を暗闇に閉ざさないためには、負ける訳にはいかないが、敵の正体は、あまりに強大な悪霊である。
ウッド弁護士は、ツイートで、新約聖書の「エペソ(エフェソ)人への手紙、第6章12節」を引用している。

For we wrestle not against flesh and blood, but against principalities, against powers, against the rulers of the darkness of this world, against spiritual wickedness in high places.
私達の戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
※日本語訳は、新共同訳『新約聖書』より。

ウッド弁護士は、この言葉を心に戦っているのだという。
ところで、この言葉より前は、こうなっている。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
~新共同訳『新約聖書』より~

悪魔は身近におり、油断すれば、容易く配下の奴隷にされてしまう。
これは、象徴的な意味としても良いが、直接的な意味と取った方が良いかもしれない。
そこで、マーフィーが言うように、神を、年長の超優秀な無敵のパートナーと考えないと、我々に勝ち目はない。
我々には、何の力もない。
確かに、自分で出来ることは自分でしないといけないが、肉である我々自身には、何も大したことは出来ないのだ。
トランプ大統領の愛読書、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』は、こう締めくくられている。

なぜ神の力を求めないのか!
~『積極的考え方の力』(ダイヤモンド社。相沢勉訳 1964)より~








  
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