親鸞聖人が、弟子の唯円に、「私の言うことを何でも聞くか?」と尋ね、唯円は「もちろんです」と答えた。
すると、親鸞は、「人を千人殺せ」と命じた。
だが、唯円は、「一人も殺せそうにありません」と言うしかなかった。
これは、唯円の著書とされる『歎異抄』に書かれていることだが、親鸞が、そんなことを命じた理由が素晴らしかった。
親鸞は、決して、「唯円よ、お前は善い人間だから、人殺しなんか出来ないのだ」などとは言わなかった。
そうではなく、親鸞は、
「唯円よ、お前に人殺しが出来ないのは、お前が善い人間だからではない。単に、人を殺す運命にないだけのことだ。殺す運命にあれば、私もお前も、人を殺してしまうのだ」
と言ったのだった。

我々も同じである。
いまどき、なかなか人殺しをやることはないが、そんな運命であれば、我々だって、殺人を犯すのかもしれない。
もう少し、深刻度が低いこんな話がある。
インドの聖者ラマナ・マハルシに、ある男が、
「隣の奥さんが魅力的でたまらない。間違いを犯しそうだ」
と相談すると、マハルシは何と、
「そうなっても悔やむな」
と言ったそうである。
どういうことかと言うと、彼が間違いを犯すか犯さないかは、彼の意思とは関係ない。
間違いを犯す運命であればそうなるし、そんな運命でなければ、間違いは起きない。
あるいは、マハルシは別の相談者に、
「働く運命にあれば、お前は働くことを避けられない。逆に、働く運命でなければ、いくら探しても仕事は見つからない」
と言ったらしい。

まあ、これらは、本当のことかどうかは分からないが、親鸞やマハルシが嘘を言うとも思えず、彼らはそう信じているのだろう。
そこで、こんなことを考える。
アメリカの、スーパー弁護士と言って良い凄い弁護士だが、リン・ウッド弁護士が、ツイッターに、
「バイデン、オバマ、クリントン(ビルとヒラリー)は、全員刑務所に入ることになる」
とツイートした。
これは凄いことだ。
こんなことを書いたら、名誉棄損で訴えられる危険があることは、ウッド弁護士は誰よりも知っている。彼は、特に人権弁護士として知られているのだ。
だが、これは、ウッド弁護士には、「訴えられるものなら訴えてみろ」という揺るぎない自信があることを示し、悪者に脅しをかけているのだ。
そうとしか考えられないではないか?
アメリカは正義の国であり、悪を許さず、断固として倒すことは、正しいことで良いことだ。
しかし、親鸞やマハルシからすれば、仮に、バイデンやオバマが、アメリカを滅ぼすような悪事を働いていても、ただ、彼らがそんな運命にあっただけで、彼らが悪人だからではない。
ウッドやトランプは、善い人間だからではなく、正義を行う運命であっただけだ。
無論、そうであっても、悪いことをすれば、確かに刑務所に入るしかない。
ならば、悪い運命を持ったことを同情する余地があるかもしれない。

確かに、そう思わないこともあるが、犯罪者のニュースを見れば、私は、「ああ、これ(犯人)は私だ」と思うことがある。
あるいは、犯罪でなくても、こんな話がある。
昔、ある剣豪がいて、ストイックに修行し無敵で、名声も高まっていた。
ところがある時、その剣豪と弟子達が宿泊している宿に、この剣豪の名を語り、高い講演料を取ったり、良家の娘をたぶらかす不埒ものが、たまたま泊まっていることが分かった。
剣豪の弟子達が、「行って懲らしめてきます」と言うと、剣豪は、「捨ておけ」と言う。
弟子達は困惑したが、剣豪は何も言わなかった。
剣豪は、こう考えたのだ。
「俺だって、あいつ(剣豪の偽物)のようなことをしたいのだ。あいつは、俺の代わりにやってくれている」
これは、あくまで時代劇ドラマであったが、なかなか感慨深かった。

イエスも言ったではないか。
「人を許せ。そうすれば、神もあなたを許してくれる」
自分の罪の大きさに自覚がないだけで、誰にも罪はある。
親鸞の教えでは、幸いにして、念仏さえ唱えれば、いかなる罪も許されるのだが、許されるとしても罪を犯すことは、実は、なかなか辛いことだ。
そして、人を許さなければ、自分もさらに罪を重ねることになるだろうと思う。








  
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