恐れや不安がない人間は、楽しい人生を送ることが出来る。
では、恐れや不安の正体とは何かというと、世の中には、自分より強い人が沢山いて、その強い人達の多くが、自分に対して親切ではないという嫌な予想だ。
一番良くないのは、自分より強い人がいくらでもいて、その人達のほとんどが、自分に優しくないと思うことだ。
逆に、一番良いのは、自分より強い人もいるだろうが、そんな強い人は、皆、自分に優しいと思うことだ。

だが、このことをどう思うかは、ほぼ、生まれ育った家庭で決まる。
親が、子供に対し、自分の方がずっと偉くて強いことを見せつけ、しかも、(稀には優しいこともあるかもしれないが)子供をいじめてばかりいる・・・そんな親が実に多く、ある調査では、全家庭の8割以上の親がそうであるという話がある。
父親だけでなく、母親もほとんど同じ、あるいは、本質的には母親の方が子供をいじめているとも言われている。
ところが、学校、あるいは、テレビでは、「母の愛は海よりも深く」なんて教わるのだから、その子は頭が混乱して、思考力を失くす。
さらにまずいことがある。
それは、母親は、自分が子供をいじめることが大好きであることを巧妙に隠し、「海よりも深い愛」を注いでいるかのように見せかけ、子供もそれに騙されている場合が多いということだ。

上のような親のために無力感を持った人間は、世の中でうまくやっていくことが難しく、いつも弱い立場に立たされ、辛い人生を送る。
では、どうすれば良いかというと、ある庶民(貧しい百姓)の念仏行者の男の例が参考になる。
その男は、元々は念仏行者ではなかった。
ところが、彼が19歳の時、父親が亡くなったのだが、父親が最後に、「俺が死んだら親様を頼れ」と言う。
自分が親なのに「親様を頼れ」とは変な話であるが、この「親様」とは阿弥陀如来のことである。
阿弥陀如来とは、阿弥陀仏であり、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える対象である。
彼は、父親が言ったことの意味がなかなか分からなかった。
ところで、彼は、飼っていた一頭の牛を大変に可愛がっていた。
彼が、その牛と、山に草刈に行った時のことだ。
草刈に励み、大きな草の束が3つ出来たので、牛に2束背負わせ、自分も1束背負った。
ところが、その1束が重く、歩くことが出来なくなり、牛に、「すまない」と言って、自分のも背負わせたところ、牛は全く平気である。
それで彼は悟った。
この牛でさえ、力ということではそうであるように、世の中には、想像も出来ないほど強い存在がいて、それが阿弥陀如来であり、その阿弥陀如来は、徹底的に優しい慈悲に満ちた存在であるはずだ。
彼は、お坊様の話を真面目に聞いていたので、そう確信したのだ。
それで、父親が言った通り、阿弥陀仏を親と思い、念仏を唱えて、全面的に頼ることにしたのだ。

イエス・キリストだって、「重荷があるものは私のところに来なさい」と言ったが、行ったらどうなるのかよく分からない。
しかし、ラマナ・マハルシが、よく分かるようにしっかり言ってくれている(イエスも分かり易く言ったのかもしれないが、転写や翻訳の際に、変な記述になったのかもしれない)。
マハルシは、次のように言っている。

どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をまかせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか?われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
~『私は誰か?』より~
【PDF】私は誰か?

親と頼るべき存在のことは、神でも、仏でも、阿弥陀如来でも、潜在意識でも、呼び名は何でも良いと思う。
『イット・ワークス』の著者は「インマヌエル(我らの中にまします神)」と呼んでいるが、やはり、どのような名前で呼んでも構わないと述べている。
『イット・ワークス』には、そんな偉大な力の助けを確実に得る方法が書かれているし、トランプ大統領の愛読書『積極的考え方の力』(ノーマン・ヴィンセント・ピール)も、神の力を求める方法を書いたと著者が述べている。








  
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