夢遊病とは、意識は眠っているのに活動している状態のことを言うのだと思う。
ところが、夢遊病者は、単にふらふらと歩いているだけではないことがある。
例えば、目が覚めていたら恐くて絶対に立てないような高い場所に立っているようなことがあるらしい。
それどころか、高いだけでなく、高度なバランスを取ることが必要な塀の上を、ふらつくことなく見事に歩いていたという話もある。

作り話も多いだろうが、夢遊病の状態にある剣士が、目が覚めている時よりはるかに強く、達人級であったという話が沢山ある。
いや、剣の極意、武道の極意というのは、夢遊病のような状態になることではないかと思う。
心が済んでいるどころか、心がないのである。
まさに無の境地であり、それなら無敵ではないだろうか?

夢遊病の状態の時、普段より能力が格段に高いとしたら、その理由は、何も考えないことで「恐れがない」からだ。
マカロニウエスタン『怒りの荒野』の中に、初老の凄腕ガンマン、タルビーの「ガンマン心得十カ条」というものがある。
その6番は「危険な時ほどよく狙え」で、これは、あらゆることに通じる重要な心構えだ。
しかし、普通の人は、それが出来ない。
恐れがあるからだ。
鍛え抜かれ、心頭を滅却し、恐怖を超えられる者のみが可能なことだ。
しかし、それは、ある意味、夢遊病の状態になることで、夢遊病患者が高度な能力を発揮することがある理由がこれなのだと思う。
アニメ『ノワール』の「イントッカービレ ACTE I」で、幼い時から恐るべき力を持つ「世界で最も凶暴な姫君」シルヴァーナの「私には恐れはない」という言葉が非常に印象的だった。
彼女の特殊な育ち方が、そのような最強の精神を作ったのだろう。

ラグビーなど、激しいスポーツの中で、時々、こんなことがあるらしい。
強いタックルを受けて転倒した選手が起き上がった時、ぼーっとした顔つきをしているので、「大丈夫か?」と、ぽんと叩きながら声をかけると、「ああ、大丈夫だ」と応える。
そして、普通にプレイを続けるが、無駄のない、非常に良い動きをする。
ところが、その選手は、タックルを受けて倒れてからしばらくの記憶がなかったりする。
つまり、夢遊病状態でプレイしていたのだ。
また、本当かどうかは知らないが、前田日明さんの自伝『パワー・オブ・ドリーム』の中で、前田さんがマーシャルアーツの全米王者ニールセンと戦った時、前田さんは試合の序盤でニールセンのパンチを顔に受けた後の記憶がなく、その試合後、友人を助手席に似せて車を運転している時に不意に意識が戻り、「あれ、俺、なんで車運転してるの?」といった感じだったという。
ニールセンに勝った試合のことも全然覚えていないと書かれていた。
こういった話は、作り話も多いだろうが、割とよく聞く話であり、実際に、このようなことがあるのだと思う。

心が澄み切り、無になれば不可能はなくなる。
それに近付くほど、能力は高くなり、引き寄せも自在になっていく。
瞑想が良いのは、そのような状態に慣れ、その感覚を掴み、いつでも、速やかにその状態に近づくための訓練だからという面があると思う。
また、普段から、呪文をよく唱えていれば、無の状態になることが多くなり、いざという時にも呪文を唱えれば、無我に近付き、高い能力や神秘力を発揮出来るだろう。
そんな意味からも、呪文(あるいは、真言や念仏)が奨められる。








  
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