無限の力につながる言葉は「AM(アム)」だろう。
それを示す証拠が多過ぎる。
日本では、まさに、「神(KAMI)」がそれになるし、日本の貴い神の名前がそうだ。
造化三神の「アメノミナカヌシ」「タカミムスヒ」「カミムスヒ」と、太陽神とされる「アマテラス」がそうである。

では、英語のGod(神)は違うのではないかというと、実は、英語で神を示すのは、AM Iであるという話がある。
この AM Iは、GOD AM Iなのであるが、GODは略すものらしい。
「私」が神であり、言葉としては、AM Iと唱えることが、秘密裏に伝えられている。
ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』に、少しであるが、これに関すると思われる興味深い記述がある。

同じように、インドでも、「私」が神で、古代の言葉であるサンスクリット語では、私は「ハム(Ham)」で、やはり、AMを含む。
ラマナ・マハルシは、最も神聖なマントラ(真言)であるオームすら2番で、1番のマントラは「私」であると言った。
マハルシが使ったタミル語では「私」は「ナン」であるが、もしかしたら、「ナン」は「ナム」に近いのではないかと思う。

念仏は「ナムアミダブツ」であり、やはり、「ナム(NAM)」で始まるが、浄土三部経の原典には、「ナムアミダブツ」と唱えよとは書かれておらず、阿弥陀如来の名であるアミターバの名を唱えよと書かれている。
そして、アミターバはまさにAMで始まる。
実際は、アミターバではなく、アミタと唱えよと記述されているという話もあるが、いずれにしろ、AMの音からなる名である。
ところで、念仏の教えの起源は、天才宗教家と言われた龍樹にあるとされるが、その龍樹が、古い経典(華厳経)の重要箇所に注釈をつけた『十住婆沙論』の中に、仏の名を唱えることを薦める部分がある。
多くの仏の名が挙げられているが、その中でも、阿弥陀如来を特別視し、阿弥陀如来の名を唱えるよう書かれている。
勝手な想像だが、念仏の起源は、浄土三部経ではなく、華厳経であるのではないかと思う。全く専門的ではないが。
他にも、少しであるが、法華経の中にも、阿弥陀仏の名を唱えることの強い効果を記した部分もある。
やはり、アミタ、阿弥陀、アミターバ・・・と、純粋にAMで構成される名に特別な力があるのだと思う。

キリスト教では、イエス自身が「アーメン」という、やはり、AMで構成される言葉を使っていたことを考えると、いよいよ、AMという言葉、あるいは、音には、何かとてつもない秘密があるのだと思われるのである。

古代から使えられる呪文や真言ではないが、科学的に最も心身に良い影響を及ぼす言葉を作ったら、それは「ナ・ダーム」であったという話があるが、これは、最後がAMで終わる。
この言葉を唱えることで、末期の癌が治ってしまったという話もある。

世界的教育学者であった七田眞氏の著書に、ホームレスの男性が「神様の奇跡が起こる」という言葉を1日中唱えていたら、2週間ほどでだろうか、不意にその男性が宝くじを買いたくなり、実際に買ったら1憶円が当たったという話がある。
そして何と、その後も唱えていたら、また1憶円が当たったと書かれているが(七田氏は誓って事実と言う)、ひょっとしたら、「神様の奇跡が起こる」の「神」の部分の力が作用したのかもしれない。
念仏では、明治から昭和初期にかけ、ごく普通の庶民が念仏を唱えることで、不思議な存在となったことが数多く伝えられ、彼らは妙好人と称されている。
こんな話は、念仏以外の信仰では、そうはないと思う。
やはり、AMには、何かあるのだと思う。
さあ、念仏、あるいは、古事記の神の名、あるいは、神と唱えよう。








  
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