直観が冴えている人は、超能力的な力(予知や透視等)があったり、さらに、運が良く、引き寄せが上手かったりする。
では、直観が冴えるようになるにはどうすれば良いだろう?
それは、著名な発明家で能力開発指導者だった中山正和氏が一貫して言っていたように、頭のイメージ空間を整然とさせていれば良い。
では、頭のイメージ空間を整然とさせるにはどうすれば良いかというと、中山正和氏はちゃんと教えてくれている。
それは、「真実の情報のみを頭に入れる」こと、逆に言えば、「嘘の情報を頭に入れない」ことだ。
なら、テレビは嘘だらけだから、決して見てはならない(真偽の高い識別能力を持っている場合は別だが)。
大手の新聞は、良い情報もあるが、とんでもない嘘も少なくないので、よくよく吟味しながら見ないといけないが、やはり、全く見ない方が安全かもしれない。
ネットの情報は、9割方が嘘なのであるが、権威はないので、信じる必要がないことが分かるので、自分がしっかりしていれば騙されない。
ただし、ネットでも、インフルエンサー(要は人気者)が権威化して、インフルエンサーの言うことをほいほい信じる人もいる。
そして、インフルエンサーが「これが正しい」といった感じで伝えることは、大概、嘘だと思った方が良い。

中山正和氏は、嘘の情報を頭に入れないための、最も単純なやり方を教えてくれているが、それは、大昔からあり、賢い人達が採用してきた方法だ。
それは、「自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたことしか信じない」である。
あるいは、さらに究極的には、こんな心構えもある。
それは、インドの聖者ジッドゥ・クリシュナムルティのように「私は何も信じない」ことである。私はこれが好きなのだが。

では、聖書や仏典はどうだろうか?
答は、聖書だけ、法華経だけとかなら良いのである。
つまり、1つだけ信じるのだ。
どういう意味だろう?
長く存続する聖典というものは、その聖典の中に関しては、一貫性があり、矛盾が少ない。
なら、たとえそれが嘘でも、その1つで思考パターンを作れば、頭の中は整然としているのである。
もし、聖書を読んでいるのに、頭が混乱しているように見える人というのは、「読み方が足りない」か「他の聖典のパターンも入っている」かである。
聖書の中では矛盾がなくても、聖書と法華経では、どちらが正しいという問題ではなく、やはり矛盾があるのである。
いろんな聖典を読み込んでいる人というのは、頭が混乱していて、賢くなく、直観力はなく、運は良くなく、引き寄せが下手である。

宮沢賢治という人は、化学と法華経とエマーソンがごっちゃになり、割と運が悪く、頭も混乱していた。
実は、アインシュタインも同じなのである。
だが、彼らは、その微妙さが芸術性をもたらした。
アインシュタインは、科学者であるというより、芸術的だったのだと思う。
だが、いずれにしろ、科学が大きく入っている点が、両者に良い影響を与えた。
宮沢賢治だって、座右の書は分厚い化学書だったのだ。

だから、何か1つに絞った方が良いし、ついでに、科学に興味を持つのは良いことと思う。
コーランと法華経の両方の良さを取り入れようとは考えない方が良い。
どちらも、巨大な嘘なのかもしれないからね。








  
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