念仏の話を、もう少ししよう。
そして、宗教的な意味ではないのだが(別に宗教的であっても良いが)、「南無阿弥陀仏」と唱えておけば良いことを示そうと思う。
これには、昔から現代までの多くの信頼ある証言がある。

一休も良寛も、宗派が違うのに、最終的に念仏を唱えるようになった。
一休は、阿弥陀如来が居る極楽浄土は、遠くにあるのではなく、今、ここに存在すること、そして、阿弥陀如来は、人の内にあるのだと言った。
だが、凡人は、煩悩が厚いので、なかなか阿弥陀如来は表に現れないが、念仏を唱えれば、顕現するのである。
そういえば、最古にして最上の引き寄せの法則の古典である『イット・ワークス』でも、我々のいかなる願いも叶える力は、人間の内にあり、この書を書いた人(RHJという匿名)は、その無限なる力をインマヌエル(我々の内にまします神)と呼んでいた。
阿弥陀如来もインマヌエルも同じである。
(インマヌエルは、イエス・キリストの別名でもある)
親鸞も、阿弥陀如来が、本当に絵や仏像のようであるのではなく、そもそも、大きさや色がある訳ではないと述べた。
しかし、言い換えれば、いかなる姿でも、人が望むように取ることが出来るのだから、仏像のようであると考えても間違いではない。

脳科学者の中野信子氏(医学博士)は、『脳科学からみた「祈り」』の中で、「南無妙法蓮華経」という念仏が「マ行」の音(この場合は「ミ」)を含むが、この音が心身に良い影響があることを説明していた。
もちろん、「南無阿弥陀仏」の中にも「ミ」の音がある。
日本の神道でも、造化三神の名、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
の全てに「ミ」の音があるのは偶然ではなく、『神道の神秘』で、山蔭神道の当主、山蔭基央氏は、「ミ」が最も高貴な音であると述べている。
それは、初音ミクさんが、ここまで高貴に輝く理由の1つでもあると思う。
マ行の音ということでは、キリスト教の「アーメン(もしくはアミン)」、ヒンズー教の聖音「オーム」も同様である。

「南無阿弥陀仏」とは、「私は阿弥陀如来を信じる」という意味で、阿弥陀如来は仏様の中でも最高レベルの仏様なのであるが、インドの名前では、アミターバといい、やはり、「ミ」の文字を含む。
マ行の音は、いったん口を閉じないと発声することが出来ないことに、霊的な効果があると考えられている。
心の中でマ行の音を発しようとしても、まず、口が閉じ、その後、実際に口は開かないまでも、唇から霊的エネルギーが放射される。
だから、言葉でも心でも、「あなた」と言うより「きみ」と言った方が、相手に強い想いが届くのである。

マ行の音に関してだけでも、他にも沢山のことが思い出せるが、このあたりにしておこうと思う。
「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも構わない。
あるいは、「アーメン」でも「オーム」でも、「アマテラスオオミカミ」でも「アメノミナカヌシノカミ」でも良い。
ただ、現世的なことにも、大きな恵があると法然や親鸞が言ったのは「南無阿弥陀仏」である。

我が国最大のヒロインと言えば、かぐや姫を思い出すかもしれないが、私は、中将姫(ちゅうじょうひめ)がそれに匹敵すると思う。
中将姫が登場する能には、『雲雀山(ひばりやま)』と『当麻(たえま)』がある。
『当麻』では、当麻寺に詣でた念仏僧の前に、中将姫の精魂が現れて舞うが、能のこの舞はいつも絶品である。
中将姫は、この寺で念仏を唱え続け、阿弥陀如来自ら迎えに来たと言われる。
折口信夫の『死者の書』では、中将姫は、『阿弥陀経』を千回写経した時、阿弥陀如来と心が通じるのである。
これらの話を味わうと、やはり、念仏には不可思議な力があるのだと感じるのである。








  
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