いつ、どこでのことだったかは記憶にないが、やや昔のことと思う。
上皇后美智子様が、皇后であられた時か、皇太子妃であられた時かも分からないが、テレビ放送の中で、読書について語られていた。
上皇后が子供の時、疎開先で、お父上からいただいた、ある本を読まれた。
上皇后は書名を言われなかったかもしれなないが、それが『古事記』であることは分かる。
そして、おそらく、子供向けに編集された『古事記』であると想像される。
だから、ひょっとしたら、書名も、『古事記』ではなく、例えば、『日本神話』のように書かれていたかもしれない。
上皇后は、その本の一説を読まれた時の思い出を話された。

それは、倭建命(やまとたけるのみこと)が、船で上総(かずさ)に向かっている時のことと思う。
船が海上にいる時、海の神が海を大荒れにし、船が危険な状態になった。
その時、倭建命の召使の弟橘姫(おとたちばなひめ)は、海の神が倭建命をたたったものと感じ、自分が身代わりになると言って、海に身を投じた。
すると、海はぴたりと静まった。
7日後、弟橘姫の櫛が浜に打ち上げられ、倭建命は、それを弟橘姫の代わりとして墓を作らせた。
上皇后は、多感な少女時代だったこともあってか、この話にいたく感動されたらしく、犠牲精神について考えられたことを語られていたように思う。

我々も、ごく若い、敏感な感受性を持っている時、たまたま読んだ文章、たまたま見た、あるいは、聴いた言葉が、一生の指針になることがある。
ただ、それが必ずしも正しいものではなく、むしろ、悪いもので、後で修正しなければ不幸なことになりかねないこともあると思う。
特に、子供の時に、親や学校の教師におかしな偏見を植え込まれた者は多いだろう。
困るのは、その、心に刻んだ言葉が起こさせる思想が偏見だと分かり易い場合は良いが、一見、正しく思えたり、それどころか、崇高に思える場合には、それが一生を壊してしまうかもしれない。

上の、弟橘姫のお話も、あまりに極端に捉えてしまうと、「女は男のために犠牲にならなくてはならない」という思想を持ってしまうこともあるかもしれない。
ただし、子供でも読めるように書かれた、鈴木三重吉の『古事記物語』の格調高い文章で読めば、その心配は少ないように思う。
こういった問題は、当然、文章だけではない。
YouTubeを見ても、政治や文化を扱った真面目なものであっても、言葉遣いが、砕けたというか、品性に欠けるものも少なくない。
名前が知られている評論家やジャーナリストの場合もあるが、だらしない格好で登場し、品のない言葉遣いやふるまいをするのは、古いのかもしれないが、子供が見ている場合もあるだろうし、もっと配慮していただきたいと思うのだ。
私は、そのようなものは不快なので、数秒見てすぐに見るのをやめる。
品性、品格などと、そう大袈裟なことを言うつもりはなく、人の前に現れるに相応しい、ごく普通の礼儀を持っていただければと思うし、人と接する時も、そのようでありたいと思う。

テレビ、漫画、YouTube、SNSなどの中に、子供やごく若い人が見るには不適切なものが多くなっているように思う。
国の崩壊というのは、こんなところから起こるのかもしれないが、今の日本は、明らかに破滅の道に進んでいると私は感じる。
悪いものを隠し過ぎるのもいけないが、悪いものに負けないだけの良いものを見ることが出来るようにしたいものである。
今は、子供達に対し、ある種の悪いものは必死で隠そうとしながら、同じくらい悪いものを平気で晒してしまっているのである。
大人に道徳がなく、品性が下劣であるからだ。
だから、大人も、意識して良いものを見ようではないかと思う。








  
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