パラレルワールド(並行宇宙。並列宇宙)の考え方に馴染むほど、引き寄せは上手くなる。
いや、引き取せる必要すらない。

『ノワール』という、2001年のアニメがある。
その中で、殺しのスペシャリストである少女、クロエが、恨みと怒りを込めて、こう叫ぶ。
「私だった!私のはずだった!」
どういうことかというと、夕叢霧香(ゆうむらきりか)のパートナーになるのは自分のはずなのに、その位置には、ミレイユ・ブーケが収まろうとしていた。
クロエは、幼い時から霧香に憧れ、ずっと霧香のパートナーになりたかった。
そのために、あらゆる試練を乗り越えてきたのに、その夢を壊され、そう叫んだのだ。

クロエに並行宇宙に関する理解があればと思う。
自分が霧香のパートナーになる世界もあれば、ミレイユが霧香のパートナーになる世界もある・・・それだけのことだ。
いや、想像さえ出来るなら、自分とミレイユがパートナーになる世界だってあるのだ。
そして、好むか好まないかに関わらず、クロエは、霧香とミレイユがパートナーになった世界にフォーカスした・・・つまり、それが自然なことに感じてしまっていたのだ。
それが嫌なら、自分と霧香がパートナーになった世界を想像して、その世界を作り、その世界にフォーカスして自然に感じれば良いだけだ。
すると、
「あれ・・・霧香とミレイユがパートナーになっていたみたいだけど・・・気のせいかしら」
と思いつつ、霧香は自分のパートナーなんだから、変なことを考えたものだと思って、思わず笑ってしまうのだ。

では、あなたの憧れのあの子(その人)が、ライバルにかっさらわれたとする。
それも1つの世界だ。
では、自分が彼女とねんごろになったことを想像して、そんな楽しい世界を生み出すことだ。
ただ、この時点では、その「素敵な世界」は、フォーカスが合っておらず、非現実感が強く、まだ、夢や白昼夢のようなものだろう。
フォーカスを合わせるには、イメージを鮮明化すれば良いのだが、大抵の人は、そこでまずいやり方をする。
つまり、彼女(彼氏)とデートしたり、いちゃいちゃしたり、エッチなことをするところばかり想像する。
それは非日常なので、自然でなく、フォーカスが合わない。
そうではなく、もっと、さりげない場面を想像するのだ。
「フォーカスが合う=自然であること」だ。
楽しさは感じても普通に会話しているところ、近くにいる彼女の髪が不意に風になびくところ、2人でごく普通に買い物をし、店員にお金を払うところ。
そういった、「さりげない」ことを、静かに想像するのだ。
さりげなさが自然さなのである。
「さりげなく」が超重要なキーワードである。

希望の大学の入学試験に合格する世界は、ちょっと想像したら、すぐに生まれる。
しかし、ほとんどの人は、古い引き寄せの本にあるように、合格発表を見て歓喜したり、親や友達が祝福してくれるといった、「さりげなさ」とは程遠い、非日常の想像をするのだ。
そうではなく、嬉しくはあるが、普通に大学に通学し、当たり前に講義を受ける場面を「さりげなく」想像するのだ。

重要なので繰り返すと、好みのパラレルワールドにフォーカスする鍵は「さりげなく」である。
ところで私は、子供の時に、大怪我で入院したような想いがあるのだが、そんな事実はないようだ。
つまり、別の並列宇宙で、子供の時に事故に遭ったのだが、そんなものがない今の宇宙にフォーカスを合わせており、入院した方の世界にはフォーカスが合ってないので、夢幻にしか感じないのである。
あるいは、昔のことだが、ある女の子に、「君、ずっと前に付き合っていたよね」と言い、「何、この人。キモいんですけど」って目で見られた(笑)。
まあ、そんな世界に居たこと(フォーカスしていたこと)もあるのだろう。








  
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