アインシュタイン(1879~1955)の「神はサイコロをふらない」という、よく知られた言葉がある。
全知全能たる神がサイコロをふる理由は確かになさそうだ。

しかし、神にしたって、人間に思考や行動の自由を与えていると思われるので、人間が神のサイコロなのかもしれない。
つまり、ある人間が、「正しい選択をするか、誘惑に負けて罪を犯すか」は、その人間の自由意志であり、神は、その人間がどんな選択をするか、ただ見守るのである。
ところが、「そんなこと、神様はお見通しだろう」と言う者もいるだろう。

だが、そんな議論をする者や、そして、アインシュタインにも、致命的な間違いがある。
致命的とは言っても、気付かないのも仕方がないと言うべきかもしれないが。
そのことに気付いていたのは、アインシュタインより14年ほど早く生まれ、アインシュタインより16年ほど早く死んでいる、アイルランドの詩人・劇作家、ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865~1939)だ。
ちなみに、アインシュタインは1921年にノーベル物理学賞を、イェイツは1923年にノーベル文学賞を受賞している。

イェイツは戯曲『カルヴァリー』の中の注釈の中で、アラブ人の言葉として、こんなことを書いているらしい。
※『イェイツ』(渡辺久義著。あぽろん社刊)より

私が骰子(さいころ)筒から骰子を投げるなら、それぞれの骰子には6つの目しかありません。しかし、神が投げる時には、神はあらゆる数とあらゆる目を持った骰子を使うのです。

つまり、アインシュタインも、サイコロには6つの目があることを前提としている。
しかし、神が使うサイコロには無限の目があるのだ。
そして、イェイツも知らなかっただろうが、神のサイコロは、全ての目が同時に出るのである。

分かり易く話そう。
あなたが男で、ある可愛い女の子に告白したところ、その女の子は、
「サイコロをふって、3が出たら付き合ってあげる」
と言う。
それであなたはサイコロをふったところ、1から6の目が全部出るということだ。
これは、サイコロをふった瞬間に、6つの世界が生まれたということだ。
つまり、パラレルワールド(並行宇宙、並列宇宙)が6つ生まれるということだ。
そして、現実の問題は、1から6で決められるようなものばかりではないので、神のサイコロの目は無限であるのである。
だが、この告白の話で言えば、あなたは、3の目が出た並列宇宙を選べば良いだけである。
もし、彼女が、「3911039の目が出たら・・・」と言うなら、その目が出た宇宙を選べば良い。

どうやれば選べるかって?
それはこうだ。
彼女が「3が出たら私はあなたのもの」と言うなら、「3が出た宇宙がある」と思えば良いのである、実際、あるから。
想像出来る限り、いかなる状態の宇宙も存在するのだからだ。
その宇宙があると分かったら、その宇宙を、当たり前に感じるのだ。実際、当たり前にある。
何の興奮もなく、心静かに、それが当たり前の世界だと感じるのだ。実際、当たり前の世界なのだ。
あなたが毎日使っているコップや茶わんが、当たり前に存在するように、その宇宙は当たり前に存在する。

パラレルワールドを扱った小説でも読んで、感覚を身に付けると良い。
『果てしなき多元宇宙』(角川文庫『時をかける少女』に収録)
『少年たちは花火を横から見たかった』 (角川文庫)
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(角川つばさ文庫)
等々。








  
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