とりあえず、3つの作品について言うが、
『007(ダブルオーセブン)』シリーズ
『ターミネーター』シリーズ
『スターウォーズ』シリーズ
らは、見ていて心が疲れるので、私は見ない。
もちろん、SFXやVFXは素晴らしいし、表面的には面白い箇所だってあるが、ストーリーが駄目だ。
どう駄目かと言うと、「あるはずのない話」だからだ。
それは、科学的、政治的、あるいは、経済的にあり得ないからという意味ではない(もちろん、それらの意味でもあり得ない部分が多いが)。
「引き寄せの法則的に」あり得ないのである。

つまり、こういうことだ。
『007』は、ジェームズ・ボンドが引き寄せた幻想だ。
同じく、『ターミネーター』は、サラ・コナーの。
『スターウォーズ』は、ルーク・スカイウォーカーやアナキン・スカイウォーカーら、それぞれのシリーズのヒーロー達が見た夢である。
そりゃ、人間は、無自覚に、望まない状況を引き寄せることも多い。
しかし、どんな馬鹿でも、あそこまで、自分にとって楽しくない、マゾヒズム的に苦しむ状況を作る必要はない。
最後に大逆転して最大の喜びを得るという見方をしようとしても、あそこまで捻じ曲がった状況を作り出す頭の持ち主には、本来、勝利はない。特に『007』がそうだ。
『007』シリーズには、必ず、異様な性格を持つ敵が登場するが、私には、いかに敵にしろ、あそこまで気持ち悪く歪んだ人間のことを考える者が作った作品に意識を向けたくない。
昔の『007』シリーズはまだ、逸脱(道徳的な意味合いを含め、ルールから大きく外れること)と言うほどの異常なものは登場しなかったし、ジェームズ・ボンドが意思の力で、望ましい状況を引き寄せることで勝つのであえることを感じられたので、見た後で爽やかな気分があった。
しかし、ある時期からの『007』シリーズでは、ボンド自体が逸脱者である。そうでなければ、あのような状況を引き寄せない。

『スターウォーズ』シリーズには、ヨーダや、彼に準じる賢者が登場するのに、それらのマスター達は、全く宇宙の法則を理解していない。
それは、釈迦やイエスが、幼稚で利己的な馬鹿として描かれているようなものである。
『ターミネーター』も、なんであそこまでねじ曲がった異様な世界を考えなければならなかったのだろうという感想しかない。
これらの映画の製作者達は、金にまみれながらも、悲惨な状況にあるのではないかと心配になってくるほどである。

もし、あなたが、引き寄せの法則をちゃんと使い、楽しい状況を作り出したいなら、これらの映画(他にも同種のものは多い)を見る際には、気を付けた方が良い。
最初に述べたが、科学的、経済的、政治的という意味ではなく、人間の心として、あり得ないにもほどがある話なのである。
『ターミネーター』のように、AIが自意識を持って人類を支配したりすることはない。
AIが脅威なのは、あくまで、愚かな権力者が高度なAIを利己的に使った結果、多くの人々を不幸にすることなのであり、それも、引き寄せを使える者であれば、楽々、不幸を避けられる。

ひょっとして、上に挙げた作品(やそれらと同種の作品)は、一般人類の力を削いで奴隷状態に留めるという目的の悪の陰謀ではないかと疑ってしまうのである(笑)。

日本の作品でも、『エヴァンゲリオン』シリーズは、あくまで、レイやアスカらに萌えるためのものとして見れば良いのだが、本当は、最初のところから、想像力とか科学という意味ではなく、情緒として不自然で疲れるので、私はあまりまともに見ていない。

映画は、たとえ壮大なものであっても、どこか製作者に恥じらいがある、遊び心を忘れていないものを見た方が良い。
例えば、『セーラームーン』シリーズは、セーラー服を着た可愛い女の子の戦士という最初のところから、遊び心と冗談でいっぱいである。だから、どれほど深刻な状況でも、お伽噺のようなものとして見ることが出来る。
西尾維新さんの『物語シリーズ』で感心するのは、伝説の吸血鬼の美少女の名前がキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードという、もはや、冗談でしかない名前にし、最初から、「これは与太話です」と宣言しているところで、実際、あくまで冗談を楽しむお話になっている。
そして、これらの作品は、案外に、引き寄せ的にまっとうなところに、作者の頭の良さを感じるのである。








  
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