いかに賢い人、偉大な人の教えであっても、どこか欠けたところがあり、しかも・・・一番重要な部分が欠けているかもしれない。
釈迦やイエスが、その大事なところを言わなかった訳ではないのだが、それが、あまりに簡単であるために、教えを伝える立場の者が、敢えて書こうとしなかったのかもしれない。
その大事なこととは、もちろん、気分(心地)である。
人間は常に良い気分でいなければならず、もし、気分が悪ければ、すぐに気持ちを切り替えて良い気分にならなければならない。
その理由はこうだ。
人間の内部に存在する、ある偉大な力が世界を作っているのだが、その偉大な力は、人間の気分に同調した世界を作るのである。
だから、気分が良ければ、さらに気分を良くしてくれる状況が、気分が悪ければ、さらに気分が悪くなる状況が現れるのである。

ここで、カール・グスタフ・ユングが好きだったという雨乞師(あまごいし。祈祷などで雨を降らせる特異能力者)の話を取り上げる。
これは、チン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』の最初のところにあるお話だが、これも「気分」という観点が抜けているので、曖昧で、誤魔化したような話で終わってしまっている。
だいたい、こんな話だ。
5年も干ばつが続く村で、有名な雨乞師を呼び、雨を降らせてくれるよう頼んだ。
雨乞師が、4日の間、テントにこもると、見事に雨が降った。
村の人が、雨乞師に、「何をしたのですか?」と尋ねたら、雨乞師は「何もしてない」と言う。
困惑する村の人達に、雨乞師はこう言った。
「この村は、神の意思に沿っていない。私は神の意思に身をまかせた」
なんて駄目な説明なんだ!(笑)
「神の意思に身をまかせる」って、具体的にどうすんじゃい!
・・・と文句を言いたくもなる。
似非賢者は、みんなこんな説明をするのだ。
「あるがままに」なんてね(笑)。
「あるがままに」なんて、格好良いから歌の歌詞には良いが、こんなんじゃ誰も救えない。

雨乞師は、こう言うべきだった。
「あんたら、みんな、気分が悪そうな顔しとったでしょ?わしはテントの中で気分良く過ごしたんじゃよ」
つまりね、雨が降らないから気分が悪いんじゃなく、気分が悪いから雨が降らないのだ。
ところで、雨乞氏がそう言わなかったのは、こんなことバラしたら、商売あがったりになるからかもしれない。
これが、雨乞師の秘中の秘だからだ。
これさえ知っていれば、雨乞師は不要になってしまう。
それを私がバラシてしまった(笑)。
とはいえ、一般の人は馬鹿だから、簡単過ぎるという理由で、馬鹿にして重視せず、結果、覚えないから、やっぱり雨乞師は儲かるのだ。
雨乞師が、テントの中で何をしてたのかは知らないが、ニコニコと笑顔になり、ガッツポーズでもしてたのだろう。
時々、舌を思いっきり出して、身体をしゃきっとさせたりもしたかもしれない。
そして、5年も干ばつが続く場所で、4日で雨を降らせることが出来るのだから、どんな願いだって叶うだろう。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ