『アヴェスター』という、ゾロアスター教の聖典がある。
紀元前数百年という時代のもので、アヴェスター語とも言われる特別な言葉で記述されている。
そんな『アヴェスター』の、いかに研究された翻訳があるとしても、それは、1つの解釈と考えるべきだろう。
また、ほとんどの昔の聖典は、たとえ仏教の経典であっても、男尊女卑の傾向があるというのは否めない(極楽浄土には男しかいない)。
『アヴェスター』も、おそらくそうなのだと思うが、この中で、神の教えに従い立派に生きた人間は、死ぬと、15歳の絶世の美少女が出迎えてくれるとある。
イスラム教の『コーラン』でも、アラーの教えの通りに生きた者には、そんな美少女が7人与えられるといった記述もある。
やれやれである(笑)。
ただ、大昔の15歳というのは、肉体的には今の15歳よりずっと幼いだろうが、精神的には大人で、特に、忍耐の面で優れていると考えるのが自然と思う。
13歳の身体に30歳以上の円熟した精神が宿っている・・・まさに、アニメの萌えキャラそのものだ。
つまり、分かり易く言えば、正しく生きれば、死んだ時に、性格の良い萌えキャラが迎えに来てくれることになる。

今の時代の方が、昔より、物質的、精神的に価値があるものが多いとは、必ずしも言えないと思う。
そして、時代が変わっても、最も価値あるものは、ある意味では15歳の美少女なのだろう。
人魚姫も15歳で、一番価値が高まった時に王子様に会いに行くのである。
すると、中二病というのは、「自分を特別視する」ことであり、それは、「自分を最も価値ある存在」と見なすことであるから、すなわち、自分は15歳の美少女と同等の価値があると思うことと言って良い。
私が以前いた職場に、私が「まるで駄目男君」と呼んでいた、本当に駄目な男がいたが、彼も中二病であった。
そして、相談に乗ってやると、つまるところ、彼は、自分が15歳の美少女のように扱われないことが不満だという、とんでもない意識を持っているのだと分かる。
例えば、いつも、あからさまに落ち込んだ様子でいるが、それは、構って欲しいからである。
私は言ってやったものだ。
「そりゃ、15歳の美少女が落ち込んでいたら、優しく『どうしたの?』と言ってやりたくなるが、オッサンが落ち込んでいてもゴキブリみたいなもんじゃないか?」
あるいは、ある日の朝、彼が、皆が自分に朝の挨拶をしてくれないと愚痴をこぼしていたが、それに対しても、
「皆、忙しかっただけだろ?え?そうは見えなかった?あのなあ、15歳の美少女なら、何をおいても顔を見たら挨拶したくなるが、オッサン相手に挨拶を忘れたって責められないだろ?」
と、「まともなこと」を言ってやったが、まるで駄目男君は不満なようだ。
そりゃ、社長とか、大金持ちであれば、オッサンでも、15歳の美少女並に敬服されることもあるが、それですら、15歳の美少女の1/10以下なのだ。
ましてや、何の力もないオッサンなら、ハエ以下である。

だが、大逆転の秘法がある。
中二病にも、力ある中二病と、その他大勢の、惨めなだけの中二病・・・つまり、まるで駄目男君みたいなのがいる。
アニメ『中二病でも恋がしたい!』の第1シーズンの最後で、「人は皆、中二病である」とナレーションされるが、人間なんて、大なり小なり、「力ある中二病」か「惨めな中二病」である。
「力ある中二病」になるには、どうすれば良いか?
話は簡単である。
自分は、15歳の美少女と同等以上の価値ある存在だと認めることだ。
実際、その通りなのである。
ただし、あくまで、自分でそう思い,自分にそう接しないといけない。
それが出来れば、皆が、あなたをそのように扱うのである。
これは絶対に真実である。
だが、あくまで、先に、自分で自分を15歳の美少女より価値ある存在であると理解しなければならない。
実をいうと、あらゆる優れた自己啓発メソッドでも(受講には百万円以上かかるものも多い)、根本的な教えはそうなのだ(15歳の美少女とは言ってないが、自分を最も価値ある存在と理解することが重要であることは強調する)。
どこかの新興宗教の教祖が「われは永遠の仏陀である」と叫んでいたが、もし、本当にそう思っているなら、立派な中二病である。
そして、本物の中二病なら、大教祖として有益であるが、実は劣等感の塊という偽教祖が、信者を不幸にする。
どのみち、人間は中二病なのだから、立派な中二病になることだ。
まずは、ガッツポーズから始めると良いと思う。
1回、ガッツポーズをやる度に、15歳の美少女に近付くと思うと良い。
それで気分が良くなれば、あらゆるものを引き寄せる力も備わるだろう。








  
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