中二病(厨二病)というものをご存じだろうか?
これは、サブカルチャー用語、あるいは、ネットスラングの類で、別に知らなくて良いのかもしれないが、それほど不自然な現象ではないので、一般的にも結構使われていると思う。
で、中二病の意味だが、正式な定義がある訳ではなく、興味があればググればいくらでも引っかかるが、簡単に言えば、
「自分を特別な存在だと思い込む」
ことではないかと思う。
その特別とは、スピリチュアル(霊的、超自然的)、オカルト(神秘的)、超科学(超能力、宇宙人等)といったものを含む。

とすれば、中二病、大いに結構である。
人間は、中二病であるべきと言って良い。
世間では、中二病は、大言壮語に対し、実力が伴わないという見解が一般的だ。
何を持って実力というのかに基準がある訳ではないが、おそろく、人間の実力の最適な定義とは「自由である度合」だ。
それなら、中二病は、少しコツを掴めば、十分な実力を持てる。
そもそもが、人類を前に進めてきた人達は、全員が中二病・・・つまり、自分の価値観を絶対としながらも自由な人達だったのだ。
一方、自己の利益のみに汲々と(あくせくと)し、それで世界を停滞させ、人類を貶めてきたのは、中二病と真逆で、自分の魂より金の力を信じる物質主義者だ。

もちろん、中二病特有の欠陥があることは認めないでもないが、それも実力さえ持てば問題ではなくなる。
中二病を病気というなら、天才も病気なのである。
では、中二病が実力を得るには、どうすれば良いであろうか?
それには、ただ、気分を良くすれば良い。
実力のない中二病というのは、自由に振る舞っているように見えても、心の中に鬱屈を抱えている。つまり、いつも気分が悪い。
そうであれば、世界は、友好的なものでないと感じてしまう。
なぜなら、この宇宙は、「気分が良ければ、さらに気分が良くなることが、気分が悪ければ、さらに気分が悪くなることが起こる」という仕組みになっているからである。
『ザ・シークレット』に登場する量子物理学者、フレッド・アラン・ウルフが言う通り、「基礎的な学問の見地から」それが事実なのである。

そして、大切なことは、自分の気分を良くすることは、自分の責任であり、そのことで誰かを頼ることは出来ないということだ。
だから、もう十分に大きくなった子供の機嫌を取って、良い気分を与えようとする親ほど迷惑なものはない。
そんな親こそ、自分で自分の気分を良くしようと思わず、誰かに頼ってばかりの人生を送ってきたのだろう。

おそらく、12歳くらいになれば、十分に、自分の気分を自分で良くすることを始めることが出来る。
あらゆること同様、これも、実践するほど上手くなるのであるから、大きな実力を得るのは、時間がかかる場合もある。
ただし、自分の気分を良くするコツを知っている親や、その他の人達に恵まれて育った場合、子供でも力を持っている。
ところが、学校の教師がまさに、自分の気分を悪くすることしか出来ない無能力者なのだ。
だから、ほとんどの教師とは交流しない方が断然良いのである。

だが、細かいことは気にしなくて良い。
大切なことは、自分の気分を良くすることだけなのだ。
生きている限り、気分が悪くなることは必ず起こる。そんな時、気持ちを切り替えて、悪い気分が続くことを許さず、良い気分になることが出来るスキルを身に付けることが本当に大切である。
無理にでも笑顔になることや、ガッツポーズをすることもスキルなのであり、やればやるほど、容易く気分を良くすることが出来るようになる。

ところで、刹那的、退廃的、暴力的、狂乱的なことを、気分が良いことと勘違いしてはならない。
本当に気分が良いとは、興奮、感動、ワクワク、爆発を感じていても、心の中は静かなのである。
例えば、本当に好きな女の子(男の子)と初めて二人きりで過ごす時には、ワクワクやドキドキも大きいだろうが、胸の奥を意識すれば、静かであることが分かるはずだ。
もし、心が揺れているなら、その状況は間違いであり、気分は悪くなるであろう。
嬉しくても、心が静かであるということを言葉にするなら「気楽」である。
気楽に生きているかどうかが実力のバロメーターであり、早く、気楽に生きようと決意することが大切である。
気楽な中二病でいれば、人生は豊かなものになるだろう。








  
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