アメリカでベストセラーになったビジネス書、『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる 』の著者であるチン・ニンチュウという中国生まれのアメリカ人の女性は、若い頃から、なかなか波乱の人生を送ったようだ。
だが、ある時、彼女に人生の目覚めがやってきた。
瞑想をしていた時だったが、半分眠っていて、夢を見ているような状態だったと思う。
自分は羊になり、羊飼いが保護者になってくれた。
そして、自分は、羊飼いにしっかり面倒を見てもらいさえすれば良く、何もする必要がないと分かり、安堵の涙が止まらなかったという。
修道女、資産家の妻、女優、スーパーセールスマン、事業家と大活躍した彼女ですらそうなのだ。

上記の本も、リラックスしろ、頑張り過ぎるな・・・といったことを書いているのだが、もっと簡単に言えば、やはり、この宇宙の究極法則を言っているのだと思う。
つまり、気分が良ければ、さらに気分が良くなることが、気分が悪ければ、さらに気分が悪いことが起こるのである。

ところで、我々の心の奥に刻まれた、魔法力の封印を解くためのお話をしようと思う。
これであなたも魔法使いだ。
その封印とは、世の中の常識である。

皆さんも、ヴィクトル・ユーゴーの長編小説『ラ・ミゼラブル(ああ無情)』の有名な絵をご存じと思う。
ボロボロの服を着た、痩せた小さな女の子が、冬の濡れた道で、裸足で、自分より大きなホウキで掃除をしている絵だ。
彼女が、コゼットのいう名であることもご存じかもしれない。
丁度、ザンドリヨン(シンデレラ)そのままの境遇であった。
だが、ジャン・ヴァルジャンが、コゼットをこき使っていた夫婦に大金を払って、彼女を救い出した。その時、コゼットは8つくらいだったと思う。
それからは、ひっそりと暮らす必要はあったが(ジャン・ヴァルジャンは追われる身であった)、コゼットは、ジャン・ヴァルジャンと平和に暮らしていた。
だが、やがて、コゼットは美少女に成長し、ジャン・ヴァルジャンと一緒によく散歩する道で、マリウスという名の青年がコゼットに魅了されてしまう。
ジャン・ヴァルジャンとコゼットも、マリウスには気付いていて、しかも、コゼットもマリウスを、遠くからだが、会うのを楽しみにするようになった。
それで、ジャン・ヴァルジャンは、散歩コースを変え、ついには、移住を決意する。
だが、ジャン・ヴァルジャンは葛藤していた。
自分は、幼い時から、悲惨な、辛く苦しいだけの人生を送って来た。
そして、もう60歳を越えた今、自分にはコゼットしかおらず、ずっとコゼットと一緒に暮らしていたかった。
マリウスが素晴らしい青年だということは分かるが、コゼットを渡す訳にはいかない。
そして、マリウスは、革命軍に参加して戦うことになった。
戦況から言って、マリウスは確実に死ぬ。
ジャン・ヴァルジャンにとって、全く理想通りの展開であった。
だが、ジャン・ヴァルジャンは、戦場で重症を負ったマリウスを、あらゆる危険を冒して単身救い出し、コゼットに会わせ、結婚を許す。
そして、全財産60万フラン(現在で約7千万円。当時なら数十億円か)を持参金としてコゼットに持たせ、自分は去った。

さて、ジャン・ヴァルジャンは正しかっただろうか?
自分の、コゼットと一緒に居たいという想いを打ち消し、コゼットの幸福を選んだ。
きっと、誰でも、気高く貴い決断だと称賛するだろう。
だが、そんなことはないのだ・・・と言ったら、非難されるだろうなあ(笑)。
いや、ジャン・ヴァルジャンが、そう(コゼットとマリウスを結婚させる)することで気分が良くなるなら、そうすれば良い。
しかし、自分が、コゼットと一緒にいることで、自分の気分が良いなら、そうしようと思えば良いのだ。
ただ、ジャン・ヴァルジャンの間違いは、コゼットをマリウスと会わせまいとして、散歩コースを変えたり、引っ越ししようとしたことだ。
つまり、自分の願いを、自分の浅はかな頭で、どうにかしようとするから、皆、ロクなことにならないのだ。
ジャン・ヴァルジャンが、コゼットと一緒に暮らし続けることが気分が良く、そうすることを決断したら、コゼットはずっと一緒だし、それでコゼットも幸福になれる。
また、そうしていれば、マリウスはマリウスで、別の女の子を見つけて幸せになるだろう。

もっと一般的な話として、隣の奥さんを好きになって、どうにかしたいと思ったらどうだろう?
全然悪くない。
それで良い気分になれるなら、うまくいくだろう。そして、誰も不幸にならず、隣の奥さんだって幸福になれる。
実は、そんなことはザラにある。
ただこれも、多くの愚か者は、自分で無理矢理どうにかしようとするから、目も当てられない悲惨な結果になる。
まあ、普通は、良い気分でいれば、隣の奥さんと親しい友達になるくらいで終わるが、別の結果になっても、それはそれで構わないことだ。

では、隣のセーラー服の女の子の場合はどうか?
これも構わないと言ったら、女子中高生の親御さん方はたまったものではないだろうが、むしろ、下手な規制や道徳を主張するから、かえってまずい結果になる。
セーラー服の女の子を好きになって、気分を良くすれば、その女の子と仲良くなるかもしれないが、大抵の場合、その女の子は、思っていたのと全然違うことが分かるだろう。
アニメの美少女は、13歳の身体に50歳の円熟した人格が乗っているが、実際は、まさかそんなことはない。
それでも、ずっと仲良くいられたら、皆、幸福になる。
しかし、自分の力でどうこうしようとしてはならない。
『カードキャプターさくら』(CLAMP著)だって、桜の同級生(小学4年)の美少女、佐々木利佳は、男性教師の寺田と恋人同士になったし、桜の兄、桃矢は、同級生男子の月城雪兎と事実上結ばれた。
皆、それで気分が良かったので、全く平和なのである。

この世界は、仮想世界、あるいは、夢のようなものだ。
こうあらねばならないということなど、何もない。
それが分かり、気楽になれば、人間に不可能はなくなるのである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ