私は、マクシム・ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』という小説が大好きなのであるが、この作品は、「引き寄せの法則」の優れたテキストにもなると思う。
見事に、引き寄せの法則の働きが描かれている上、短くて読みやすい。
10分もあれば読めるのではないかと思う(岩波文庫版で34ページ)。
独断であるが、この作品は、あらすじ自体は、それほど重要でないと思うので、以下に遠慮なく書く(いわゆるネタバレ。これまで何度もやっているが)。

地下のジメジメしたパン工場で働く26人の男達がいた。
社会の最底辺に居て、実際、公園でも歩くと警察官に職務質問されるような、どこから見ても人生の落伍者達で、知性も品格もなく、全くロクでもない男達だった。
だが、16歳の可愛い娘ターニャが現れてから、全てが変わる。
別に、男達がターニャに鼻の下を伸ばしたとか、そういうことではない。
紳士とはとても言えない彼らが、ターニャには礼儀正しく振舞った・・・いや、女神様のように扱ったというべきかもしれない。
ターニャがそこに居ない時ですら、誰も、彼女を辱めるようなことは決して言わなかった。

これを、引き寄せの法則で説明するなら、男達が、ターニャを引き寄せたのである。
つまり、男達は、自分達の前に天使が現れることを強く望んだのだ。
そんなことは、この作品中に全く書かれていないが、なぜ、そんなことが言えるのかというと、ゴーリキー自身が、若い頃だが、似たような苦しい労働をしていたからだ。
その中で、ゴーリキーは、こんな環境を抜け出すきっかけを強く願い、それを引き寄せたはずだ。
そんなゴーリキーには、この男達の気持ちがよく解かっているはずなのである。
この作品は、ゴーリキーが『叙事詩』というサブ・タイトルをつけただけあり、詩のような、世にもまれな美しい作品と言われているが、それは、自身の経験と、天啓のような閃きを得て書いたものだからと私は思うのだ。
そして、天啓とは、引き寄せの法則のような、宇宙の理を直観で理解することであるはずだ。

ターニャが現れてから、26人の男達は人間性を取り戻し、健康にもなり、道徳性も知性も明らかに向上した。
ターニャは、優しい娘でも、賢い娘でもなく、男達を「囚人さん」と呼んで蔑んだが、そんなことはどうでも良かった。
男達は、彼女を天使のように扱う。
それが快適で、気分が良いことだったのだ。だからこそ、男達は良いものを引き寄せていった。
気分が良ければ、さらに気分が良くなることが起こる・・・これが宇宙の仕組みなのだ。
だから、そのままでいれば、男達は人生を大きく変えたかもしれない。実際、いくらかの部分では変わった。
だが、男達の心の中には、不安が芽生えた。
しかし、彼らは、引き寄せマスターのように、不安や恐怖といったマイナスの思考や感情に警戒するべきという知識を持たなかった。
そして、ついに、彼らの不安は、女たらしの男を引き寄せた。
そうだ。最悪の女たらしがやって来たのだ。
何の取り柄もない男だが、本人が言う通り、不思議なことに、彼はどんな女でも「落とせた」。
もちろん、それは、この女たらしが、女を落とせる状況を引き寄せる達人だったからだ。
この女たらしは、宇宙最高の法則を、なんと、「女をこます(口説く。手に入れる)」ことだけに使っていたのだ。
しかし、26人の男達は、(やめておけばいいのに)女たらしの男に、「お前にもターニャだけは落とせない」と言い放ち、それが、この女たらしの闘志に火をつけた。
相手は、「女を落とす」ことだけが専門ながら、それに関しては一流の引き寄せマスターだ。
女たらしが使ったであろうテクニックは解るが、一応、公開は避けよう(笑。いや、結局、下に簡単に書いたが)。
ノーマン・ヴィンセント・ピールの『人間向上の知恵』にも、そのやり方が書いてあったと思う・・・今、確認したら、大雑把な記述であったが、そういったことが出来ると解るだけでも有益かもしれない(何が有益だ 笑)。
別に、特別なことではない。
事はなったと思い、その喜びを感じれば良いのである。
ただ、言っておくが、別に、ターニャは不幸になった訳ではない。
本にも、「歓喜と幸福に萌えていた」とあり、まあ、最初が、こんな男であったのも、そう悪いことではないかもしれない(分からないが)。

それはともかく、やはり、この本は、世界的文豪が書いた、引き寄せの優れた参考書と言えると思う。
引き寄せとは、このように、深く、楽しく、そして、気楽に学ぶべきものと思う。
そして、人間と人生を深く理解している文豪の作品こそ、引き寄せという宇宙で最も有益な法則を学べるのであると思う。








  
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