海外のことは知らないが、日本では、子供や学生が、自分は将来、どんな仕事をしたいのかといったイメージを持っている人はほぼいない。
大学を卒業する時ですらそうで、就職というものは、「どんな仕事をしたい」ではなく、「大きな会社に入りたい」という視点でしか考えられない。
広告代理店志望だとか、アパレル業界志望だとか言っても、業界に関する知識や理解はほぼ無い(ごく表面的に知っていれば「よく知っている」と言われる)。
今のそんな大学生に不満を持っているようなことを言う企業も多いが、そんな学生だからこそ、企業説明会では大嘘を並べていられるのである。
『13歳のハローワーク』なんてものに載っているのは、嘘とは言わないが、仕事の実態と全く違うことが書かれている(これを嘘と言うのだが)。

そして、学生どころか、長く会社に勤め、いい歳になり、社会経験も積んでいても、「自分は本当は何をしたいのか?」と考える始末である。
まあ、考えるだけマシと言えるかもしれないが、実際は、まさに「考えるだけ」だし、しかも、ほとんどが「愚にもつかない考え」だ。
その中で、私のような、プログラマーになりたいと考える人もいるが、なかなかうまくいかない。
アメリカの作家、マイク・ハーナッキーが著書の中で、こんなことを書いていた。
彼は時々、いろんな人達から、「作家とは羨ましい。私も作家になるのが夢だったのです」と言われることがあったのだが、そんな時は、「じゃあ、あなたも作家になればいいじゃないですか?」と返すのだそうだ。
ハーナッキーは、それは100パーセント可能と思っているが、そう言って来る相手は、自分には出来ないと思っているのである。
ハーナッキーの方も、大学を出てから、教師、証券マン、弁護士と職を変え、どれも面白くなくて、遂には病に倒れたが、何の当てもなく「作家になる」と決めて仕事(弁護士)を辞めて作家になったのだった。

私は、仕事は何かと聞かれたら、システムエンジニアだとかプログラマーだとか言うが、これらの仕事に、一定の形がある訳ではない。
同じプログラマーだと言っても、それぞれ、全く別物の仕事と言って良い。
だがそれは、プログラマーに限らず、学校の教師も、イラストレーターも、ダンサーも、野球選手も、YouTuberも、全部そうである。
乞食も職業だという話があるが、それは実に多様な職業で、一人前の乞食になるための「乞食養成学校」なんて作りようがない。
だがそれは、野球選手もYouTuberも全く同じなのだ。

そもそも、我々の仕事は人間でしかたなく、仕事の形態は、「考える人」「戦う人」「移動する人」「しゃべる人」「作る人」といった、人間の基本的行動に分けられる。
サッカー選手は「戦う人」で、YouTuberは「作る人」だ。
こう言えば、「YouTuberも考えるぞ」と言いたい人もいるだろうが、YouTuberは作ってナンボであり、考えても金にならない。
教師が、「俺は日本の腐敗した教育と戦っている」と言うなら、迷惑だから辞めてくれとしか言えない。

だが、人間の本当の仕事は、「良い気分になる」ことだけである。
「いや、良い気分になっても金にならないじゃないか?」と言う人がいるなら、答は「金になる」だし、それ以外に金を稼ぐ方法はない。
なぜ、これが本当の唯一の仕事なのかというと、世界がそう出来ているからとしか言えない。
まあ、今の社会の常識で言えば、こんなことは宗教にも、お伽噺にもならない。妄想より悪いと言われるかもしれない(いや、言われる)。

良い気分になるための手段として、野球選手になったり、歌手になったり、プログラマーになることはある。
だが、ほとんどが、一瞬、良い気分になったつもりで、実は、ほとんどの時間、悪い気分でいるのである。
何もせずに良い気分になれるのなら、それはそれで良いのだが、それは割と珍しいと思う。
どちらかというと、絵を描いたり、音楽を作ったり、救助したり、殴り倒して気分を良くしたいものなのだ。
だが、火星ロケットを飛ばすことが本当の目的ではなく、良い気分になるために、それをやるのだ。
イーロン・マスクに、「なぜ、そんな壮大でクレイジーなことをやろうとするのか?」と聞いたら、彼は半ばはにかみながら、「人類にやる気を起こさせたい」みたいなことを言ったが、はにかみたい気持ちも分かる。
嘘だからだ。目的は、良い気分になることである。
だが、彼も、そう言わざるを得ないのだろう。だからはにかみながら答えたのである。








  
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