「気分」とは、「持続的な感情の状態」のことで、英語ではフィーリングだが、英語の方が、その意味にぴったりくるかもしれない。
そして、なぜか、この気分が良い状態(GOOG FEELING)であれば、さらに気分が良くなることが起こり、逆に、気分が悪い状態(BAD FEELING)であれば、さらに気分を悪くさせられることが起こる。
このことで思い出すのが、インドの聖者、ラマナ・マハルシの言葉だ。
「幸福は外側にはない。内側(魂)にある。願い事が叶った時、実は、我々は内なる幸福を楽しんでいるのだ」
我々の存在の核たる魂の本性は至福である。だから、何もなくても、魂に意識を向けさえすれば幸福なのだそうだ。

気分が良いというのは、欲求が満たされている状態を言うのだと思われているが、実は、そうではなく、外部に目がいかず、自己の内部に潜り込んだ状態なのである。
例えば、最高の気分の時は、我を忘れ、周囲で起こっていることすら分からなくなるだろう。
それなら、実は、我々は、いつでも、気分良くいられる。

では、なぜ、気分が良ければ、世界は自分にとって、より嬉しいもの、より楽しいものになるのだろう?
それは、古代哲学で既に言われ、そして、ようやく最新科学でも明らかになりつつあることだが、心が世界を作るのだからだ。
人間が外を見た時(意識した時)、人間の内にいる魔術師が一瞬で世界を作り上げると言った科学者がいた。もちろん、比喩的表現だが、実に正しい。
サルトルも言ったように、小説を読むとは、読んでいる一瞬一瞬に小説を書くという個人的体験である。
当然ながら、絵を見る時は、内なる魔術師が一瞬で絵を描き上げるのである。
音楽を聴いている時は音楽を作っているのであり、コリン・ウィルソンの『フランケンシュタインの城』で、ウィルソンと親しいある人物は、ショパンを聴いている時、自分がショパンなってしまうというが、実は、それは異常なことではなく、ごく自然なことなのであり、そして、気がつかなくても、誰もが同じなのである。

ラマナ・マハルシのような、快楽を否定する無欲を最上とする教えも、引き寄せの法則のように、願望を実現する科学も、実のところ、違うことは言っていない。
例えば、自動車や富を欲しい時には、ラマナ・マハルシの場合は、そういった外部にあるものの虚偽性を暴いて無欲になることを説くだろう。
しかし、引き寄せでは、既に欲しいものを得たと思って、それを得た喜びを味わうと、それが叶うと教える。
イエスは単に、「願いは叶ったと思えば叶う」と言ったが、もっと細かく言うと、この引き寄せの法則のようになるだろう。
インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダの師の師であるラヒリ・マハサヤは、解脱の一歩手前の段階でも、豪邸を強く欲しがっていた。
そこで、師のババジが幻術の力で宮殿のような家を出現させ、これにマハサヤが入って楽しむと、マハサヤは執着から解き放たれ、ついに解脱を果たした。
願望は叶うと、執着が消えるのである。
だが、条件がある。

行動や努力で強引に欲望を叶えると、さらに欲望は強まるのだ。
だから、我々は、イエスが教えたことを基にした引き寄せの法則の通り、願いが既に叶ったと思って、想像でその喜びを味わい、気分を良くすることで、努力なく願いを叶えた方が良いのである。
そうやって何かを得ると、得たものと同じようなものを渇望することはなくなる。
しかし、そうではなく、戦って強引に勝ち取ると、『スター・トレック』でミスター・スポックが言ったようになる。
「どんなに欲しいと思っていたものでも、得てしまえば、さほどでもなくなる(得たものがつまらないものに思える)」
つまり、この場合は、もっと別のものが欲しくなるのだ。そして、次を得たら、さらに強く、別のものが欲しくなるという、欲望の無限の連鎖にはまり込む。
例えば、美女を得れば、もっと上と思える美女を次々に欲しくなるのである。
だから、我々は、無理な行動ではなく、心の力で願いを楽に叶えるべきであると思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ