難しいものも含め、何かのスキルを身に付けること、あるいは、資格の取得、受験の合格も、最大の効率で行うコツは、皆、同じだ。
それは、気分良くやることだ。
逆に言えば、気分良くやれないなら、やらずに済むならやらないことを、強くお薦めする。
いや、はっきり言って、気分良くやれないことはすべきでないと思う。
英語教育業界(官民含め)の宣伝では、「これからの国際社会で英語は必須」なんて大嘘を昔から言っているが、英語をやって気分が良くないなら、やらない方が良いだろう。
どうしてもやるなら、自分の責任で、気分良く取り組むべきである。
でないと、時間と金の無駄になる。
(尚、日本が衰退する中で、英語業界の思惑とは全く関係ない理由で、英語や中国語の重要性は確かに上がっている。)
この宇宙は、気分が良いと、さらに気分が良くなることが起き、気分が悪いと、さらに気分が悪くなることが起こるようになっている。
絶対的にね。それは、歴史的、経験的に確かだが、今や、科学的にも解明されようとしている。
そして、何かの勉強や訓練をする時、それが実を結んだ際に心が躍るほどの気分の良さが得られそうもなかったり、勉強や訓練が、努力と感じて気分が良くないものなら、果たして、自分のためになるかどうか疑問である。
これからの新しい時代においては、「楽しくなければ、勉強や訓練ではない」のである。
いや、本当は、大昔から、そう主張していた賢い人はいたのだが、権力者や支配者には都合が悪いので、庶民には、そうさせなかっただけである。
上層の人間にとって、庶民は、奴隷のスキルを磨いてくれれば良いのだからである。
しかし、そんな時代は、いい加減、終わらせたい。
例えば、プログラミングの勉強も、気分良く出来るかどうかだけが問題である。
IQテストでも標準の頭脳である私が、全く努力せずにプログラミングをマスター出来たのも、気分良くやっていたからに他ならない。
確かに、修行中(この言い方も止めた方が良いが)、私は、毎日のように、プログラミングの本を買い、深夜の2時過ぎまでパソコンに向かっていたが、それが単に、面白かったからである。
ただ、私の場合、たまに気分良くやれないこともあったので、時間がかかったり、スキルがなかなか高くならなかったりしたのだ。
では、どうすれば、プログラミングの勉強が楽しくなるか?
それは、実際はそうでなくても、プログラミングを既にマスターしていると思い、その気分の良さを感じれば良いだけだ。
プログラミングを深くマスターしたことで、周囲から丁重に扱われ、好きな仕事を、誰にも指図されず、自信たっぷりに楽しくやれる愉快さを先に感じるのだ。
それで気分が良くなれば、その状況が当然のように現れるのである。
『ザ・シークレット』のDVDで、信頼を感じさせる教師の1人が、こう述べていた。
「自分は既に豊かだ、健康だと思って良いのです。たとえ、実際にはそうでなくても」
それで気分が良くなれば、ほどなく、自分が願っている通りになるだろうが、逆に、気分を良く出来ず、今が貧しいからとか、病気だからと悪い気分でいれば、なかなか良い状況にはならないだろう。
それは、気分良くやることだ。
逆に言えば、気分良くやれないなら、やらずに済むならやらないことを、強くお薦めする。
いや、はっきり言って、気分良くやれないことはすべきでないと思う。
英語教育業界(官民含め)の宣伝では、「これからの国際社会で英語は必須」なんて大嘘を昔から言っているが、英語をやって気分が良くないなら、やらない方が良いだろう。
どうしてもやるなら、自分の責任で、気分良く取り組むべきである。
でないと、時間と金の無駄になる。
(尚、日本が衰退する中で、英語業界の思惑とは全く関係ない理由で、英語や中国語の重要性は確かに上がっている。)
この宇宙は、気分が良いと、さらに気分が良くなることが起き、気分が悪いと、さらに気分が悪くなることが起こるようになっている。
絶対的にね。それは、歴史的、経験的に確かだが、今や、科学的にも解明されようとしている。
そして、何かの勉強や訓練をする時、それが実を結んだ際に心が躍るほどの気分の良さが得られそうもなかったり、勉強や訓練が、努力と感じて気分が良くないものなら、果たして、自分のためになるかどうか疑問である。
これからの新しい時代においては、「楽しくなければ、勉強や訓練ではない」のである。
いや、本当は、大昔から、そう主張していた賢い人はいたのだが、権力者や支配者には都合が悪いので、庶民には、そうさせなかっただけである。
上層の人間にとって、庶民は、奴隷のスキルを磨いてくれれば良いのだからである。
しかし、そんな時代は、いい加減、終わらせたい。
例えば、プログラミングの勉強も、気分良く出来るかどうかだけが問題である。
IQテストでも標準の頭脳である私が、全く努力せずにプログラミングをマスター出来たのも、気分良くやっていたからに他ならない。
確かに、修行中(この言い方も止めた方が良いが)、私は、毎日のように、プログラミングの本を買い、深夜の2時過ぎまでパソコンに向かっていたが、それが単に、面白かったからである。
ただ、私の場合、たまに気分良くやれないこともあったので、時間がかかったり、スキルがなかなか高くならなかったりしたのだ。
では、どうすれば、プログラミングの勉強が楽しくなるか?
それは、実際はそうでなくても、プログラミングを既にマスターしていると思い、その気分の良さを感じれば良いだけだ。
プログラミングを深くマスターしたことで、周囲から丁重に扱われ、好きな仕事を、誰にも指図されず、自信たっぷりに楽しくやれる愉快さを先に感じるのだ。
それで気分が良くなれば、その状況が当然のように現れるのである。
『ザ・シークレット』のDVDで、信頼を感じさせる教師の1人が、こう述べていた。
「自分は既に豊かだ、健康だと思って良いのです。たとえ、実際にはそうでなくても」
それで気分が良くなれば、ほどなく、自分が願っている通りになるだろうが、逆に、気分を良く出来ず、今が貧しいからとか、病気だからと悪い気分でいれば、なかなか良い状況にはならないだろう。
当ブログ著者、KayのAI書。 実用的なAIを作るために、最も大切なことは、AIのセンスです。 AIのセンスとは、問題を、推測問題に捉え直し、データを整えることです。そのためには、数学も、プログラミングも、難しいAI理論も不要です。 必要なものは、Excelが使える程度のスキルです。 また、この本では、類書に見られる、無味乾燥で退屈なテーマではなく、「モンティ・ホール問題」(クイズ番組で行われた簡単なゲームだが意外性があって面白い)を始め、なるべく楽しいテーマを採用しました。 人間には、なかなか解決出来ない問題を、実際にAIに解かせることで、簡単にAIの威力を実感出来、そして、自分にもAIが作れることが解ると思います。 本書の、ほぼ全ての実習が出来るデータを作ることが出来るExcelマクロ(VBAプログラム)を、出版社サイトから無料でダウンロード出来ます。 |
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プログラミングなんかまさにそうで、向いてる人(出来る出来ないは関係なく)は、ずっと集中して取り組みますし、向いてない人はすぐに興味を失います。
向いてる人は、努力を努力と思わないのでしょう。寝食を忘れて没頭するという感じですね。
寝てる時でさえ夢の中でコード書いたりしたいものです。
向いてない人は、それはそれで別にいいんじゃない?とも思います。
今流行ってるからという理由で無理にプログラミングなんかやらなくても、と思う。
Kayさんのおっしゃる通り、時間も金も無駄になりますから。
私は、まだまだですね。もっとやらないと。