「思考は現実化する」という言葉をよく見るが、圧倒的に正しいのは、「気分は現実化する」だ。
つまり、良い気分でいれば、良い気分にさせてくれる状況が現実化し、悪い気分でいれば、悪い気分にさせられる状況が現実化する。
思考は、それと適応した気分を伴えば現実化するが、圧倒的に気分が優先されると思って間違いないだろう。
例えば、良い気分でいれば、考えていた通りのこととは違うことが起こっても、それで気分が悪くなることはなく、むしろ、もっと良くなる。
それどころか、この世の楽しみとは、予想外のことが起こることなのだ。
想定内の出来事など、面白くもなんともない。

「どんなことでも、予想外でさえあれば、起こることが最善だ」
~『カルヴァリー』(W.B.イェイツ)イエスに対するローマ兵の言葉~

「この世で一番楽しいことは何か知ってるかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しなかったことが起こることだよ」
~『カードキャプターさくら』(CLAMP)より~

江戸末期の神道家で、イエスに匹敵する神秘力を備えていたとも言われる黒住宗忠は、若い頃、ある疑問を持っていた。
それは、悪人が楽しく暮らしているのに、善人が苦しい状況にある場合がよくあることだ。
そして、宗忠は、それは、心が陽気か陰気かの問題で、悪人でも陽気であれば楽しい状況になるし、善人でも陰気であれば、苦しい状況になるのだと気付いた。
ただし、悪人には悪人なりの仁義というものがあり、それに背くと気分が悪くなり、状況もそれに速やかに続くのである。
また、陰気な善人というのは、心が弱い。いかに良いことをし、悪いことをしなくても、自分で自分を「しゃんとさせる」責任は自分にある。
だから、小善人、小市民が一番良くないのである。それなら、大悪人の方がずっと良い。

「人を呪わば穴二つ」と言う。
呪うというのは、思考ではなく、間違いなく感情である。
呪いの感情・・・つまり、最悪の気分を持っていれば、もう確実に最悪の状況がやって来る。
まさしく、「人を呪わば穴二つ」である。
これほど明白なことはない。
レディー・ガガらが推進するMeToo運動というのも、レイプをする男への呪い、憎しみが強ければ、自分にも呪われるべき状況が「次々に」起こる。
しかし、女性の幸せを願う運動であり、それにより良い気分でいられれば、良い状況になるのである。

動物愛護運動も、動物を虐待する者達への憎しみ、非難で行えば、ますます動物は虐待される。
しかし、動物を幸せな状態にする(自然な状態にするという意味だ)ための運動で、気分良く行えば、目標通りかどうかは分からないが、良い状況になるだろう。

ある大学を目指して勉強し、自信もあって気分も良かったのに落ちてしまい、別の大学に入ることになった時、誰でもその時は悪い気分になる。
しかし、大学生にもなれば、大人であり、そこで気持ちを切り替える責任は自分にある。
それが出来ず、悪い気分を引きずれば、やはり、あまり良くない状況が展開されていく。
だが、気持ちを切り替え、良い気分でいれば、その大学で生涯の師、生涯の友に出会い、その大学に入って良かったと心から思える・・・といった状況になるだろう。

Hey Jude, don’t make it bad
Take a sad song and make it better
ジュードよ、そうしょげるなよ
悲しい歌も気分次第で楽しくなるさ
~『Hey Jude』(ポール・マッカートニー)より~

苦しい状況でも、思い切り舌を出して気分をしゃんとさせ、笑顔を作り、ガッツポーズをして良い気分になれば、状況は変わり、逆転勝利を収めるだろう。








  
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