劣勢を挽回し、攻勢に出るには、具体的な武器、具体的な知恵が必要である。
だが、世の中には、どうにもならない状況というのも存在する。
そんな時に、人間は昔から、高次の力に頼ってきたが、人間がテクノロジーによる武器を得るごとに、そういった高次の力を忘れたり、あまつさえ馬鹿にするようになる者も多い。
ところが、科学やテクノロジーを本当によく理解している人ほど、これらは宇宙の力に比べれば極めて卑小であることを認識している。
また、そんな賢い人達は、宇宙の力というのは、偶然に作用するものではなく、高度に秩序立っていることも分かっている。
そこで、科学と宗教が融合すると、考えるようになることは、人間の力と宇宙の力の役割分担である。
けれども、宇宙の力と人間の力では、あまりにレベルが違うので、分担という言葉もおかしいような気がしてくる。
それは、大きな事業をやる時に、大人と子供で役割を分担することに似ている。
普通の考えでは、子供にやることはない。
だが、そうではなく、子供の役割が重要だと理解すると、大人にも不可能だと思われた事業が成るのである。
宇宙の事業でも同じで、偉大なる宇宙の力だけでなく、人間が必要だから人間が居るのだろう。

我々が大きな事業をする時、それが行き詰まり、どうにも出口が見えなくなった時、なぜか、子供の姿を見ていると、不思議な勇気が出て、知恵も湧き、そして、あり得ない出来事まで起こって、遂には事業が完成するということはよくある。
しかし、いまだ、「だけど、実際は、子供は何もしていない」と思う人が多い。
「実際に」子供は多大な貢献をしたに関わらずである。
宇宙にとって、人間は子供のようなものだ。
「上にあるものは下にあり、下にあるものは上にある」とエメラルド・タブレットに書かれている。
そんなふうに、宇宙は階層構造だ。
宇宙と人間の関係は、人間の大人と子供の関係に、やはり似ているのである。
なら、子供に学ぶのは無駄なことではない。

インドの聖者、ラマナ・マハルシは、「賢者と子供は、ある意味、似ている」と言った。
それは、子供は、遊んでいる時には遊びに夢中になるが、遊びが終われば忘れてしまうようなところだ。
荘子は、最高の人間の心は鏡と似ていると述べている。
つまり、来たものは、そのまま映すが、去ってしまえば、何の痕跡も残さないのだ。

賢者や子供の心の性質とは、どんなものだろう?
それは、気持ちを柔軟に切り替えることだ。
英語で「気持ちを切り替える」という表現は案外多く、reset myself (自分をリセットする)もその1つだが、これには、move on(前に進む)という意味も隠れていて、move on 自体が、「気持ちを切り替える」という意味で使われる。
子供は、特に「気持ちを切り替えよう」と思わなくても、自分をリセット出来るのである。
大人の場合は、好きな音楽を聴いたり、美しいものを思い浮かべると良いだろう。
もっと良いのは、微笑んだり、ガッツポーズをすることで、強力なリセットが必要な時は、舌を思い切り出してみると良いだろう。ただ、よほど親しい人の場合は除き、誰もいない場所でやると良いだろう。
これにより、我々は賢者と等しくなり、宇宙の偉大な力の援助を得られるのである。








  
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