願いを高次の力で叶える「引き寄せ」について、昔から疑問に思っていたことがある。
引き寄せでは、いかなる願いも叶うはずであるが、叶うべきでない願いもあると思える。
たとえば、無責任で自己中心的で、自己を律することなど全く考えないだらしない22歳くらいの若者がいたとする。
そんな者が、「楽して月百万円くらいもらえる」という引き寄せをしたらどうなるか?
ベルベル・モーアやピエール・フランクらの方法であれば、宇宙に向かって、「楽に月百万円の収入お願いします」で終わりである。

宇宙に願い事をするのに、別に条件はないのだが、ただ、信頼が必要なのである。
それは、願いを叶えてくれる力に対する信頼である。
まず、その力を何と呼ぶかは、人によって様々である。
たとえば、神、仏、宇宙、潜在意識、至高の存在、宇宙の活力、真の自己・・・などである。
自分は神を信じていないのに、本に書いてある通り、「神を信頼する」と言っても抵抗があるだろうし、抵抗があるということは信頼に欠けているのである。
ただ、そんな人の場合、人間が作った神の概念を信用していないだけであるが、無限の力の存在は認める必要があると思う。
なぜなら、それは確かに存在するし、願いを叶えるのは「それ」であるのだからだ。

ミクロの世界(原子や素粒子の世界)から、マクロの世界(宇宙規模の世界)まで、しっかりと見れば、あらゆるものが、人知をはるかに超え、あまりに見事であり、これが偶然に出来るとはとても思えないはずなのだ。
1966年の『ミクロの決死圏』という映画では、ミクロサイズに縮小された医療チームと治療装置、それらを乗せた潜航艇を、重症を負った人間の体内に入れ、治療を行うのだが、人間の体内に入った科学者のうちの1人は、人間の生体活動のあまりの見事さに「神の業だ」と感動するが、別の科学者は「ただの偶然だ」と言う。
それは人の考え方であり、ケチをつけるべきでないのかもしれないが、それが偶然だと言うのは、まるで、チンパンジーが紙にインクをなすり付けたら小説になることもあると言うようなものだと思えるのだ。つまり、確率的にはゼロでないとしても、やはり、あり得ないことなのである。
別に、あくまで偶然と言い張るのは構わないが、そのような人間に引き寄せは行えないであろう。

つまり、引き寄せを行おうとしても、それを叶える偉大な力の存在を信じ、それに対する信頼を持たなければ、うまくいかないのである。
その点、最初に挙げた軽薄な若者の場合は、全く無理であることが解る。
幼い子供の場合は、奇跡のような願いを叶えることもあるが、何らかの理由で、偉大なる力の存在を疑ったり、それに対する信頼が揺らぐと、やはり叶わない。
この点は、むしろ、心をコントロールする強さがある大人の方が有利な面があるのだと思う。

だが、そう難しいことではないと思う。
信念を持つために役に立つツールが、笑顔とガッツポーズだ。
笑顔やガッツポーズをしてまで疑うことは出来ない。
だから、アメリカの心理学の父、ウイリアム・ジェームズは「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」と言ったのである。
ガッツポーズをすると、肯定的な感情(多幸感などという)を起こす脳内物質であるエンドルフィオンが出て、自然に偉大な力への信頼を持てる。
辛い時でも、無理にでも笑顔を作れる者、無理にでもガッツポーズをとれる大人が願いを叶える。
あと一つ言えば、舌を思いっきり出すポーズにはさらに強力な効果がある。
最初に挙げた、チャンランポランな若者(別に若者に限らないが)は、辛い時に自主的に笑顔やガッツポーズが出来ない。そんな者には、やはり、引き寄せは行えないのである。
戦場でも笑える強さを持つ者が勝つのであることを忘れてはならない。








  
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