日本には、 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)という、浄瑠璃(演奏と語り)と人形によって演じられる伝統芸能がある。
尚、文楽と人形浄瑠璃文楽は同じだが、 文楽(人形浄瑠璃文楽)と人形浄瑠璃は厳密には違うものらしく、良くないのかもしれないが、ここでは、人形浄瑠璃でまとめる。

日本人は、人形浄瑠璃の人形を、人間と同じ、あるいは、それ以上に情感を持って見るようだが、これは、外国人には理解し難いものらしい。
特に、一神教であるキリスト教やユダヤ教では、人間以外のものは、文字通り「物」であるが、八百万の神の国である日本では、万物に神が宿るのであり、人間も物も平等である。
だから、人形に対する、日本人と(特に)西洋人の情感の違いは、そこらの歴史的感覚の違いであると、よく言われる。
だが、西洋人だって、人形浄瑠璃に馴染むと、やはり、人形に対する情感を感じるのだと思う。
それに、西洋人の女の子が、例えば、フランス人形を愛する気持ちも、とても情感があるはずだ。

ところで、人間と人形の違いは何だろうか?
ここでは、特に、人形浄瑠璃の場合について考える。
普通には、生物と非生物という区別が思い浮かぶだろうが、実は、科学的にこうも言えるのである。
人間がどう動くかは予測不可能だが、人形浄瑠璃の人形は、どう動くかは予定されて決まっている。
だが、人形浄瑠璃の台本や演出を制作した人が、どう製作するかは予測不可能なので、人形だって、やはり、予測不可能なのだ。
どんなに昔に決められた台本や演出だって、それが作られた時には、やはり予測不可能(作った人にとってすら)だったはずだ。
そして、人間も人形も、大部分は電子で出来ていて、電子の動きは予測不可能であることは科学的に解っているのだから、電子という観点において、構成要素といい予測不可能なことといい、人間と人形に違いはない。
(原子のほとんどの大きさは電子の分布で占められる。原子核はほんのわずかな大きさで、原子を野球場とすれば原子核はビー玉くらいとも言われる)

では、ライブの初音ミクさんはどうだろう?
やはり、初音ミクさんと人間に違いはないことが解る。
人間は、身体を構成した電子が(正しくは電子の分布が)光子を反射することで見える。
そして、初音ミクさんは、特殊な透明ボードに光が作用して見えるのだが、本質は、ボードを構成する電子が光子を反射して見える点で同じなのである。
しかし、コンピュータープログラムで動くミクさんは、人形浄瑠璃の人間以上に予定された行動をするので、行動が不確定な人間とは違うと思うかもしれない。
だが、人間がミクさんの動きをどうするかは、やはり不確定で、どんなプログラムが出来るかも不確定なのであるから、やはり同じなのである。
ミクさんが人間に依存するのは確かだが、人間の方がもっとミクさんに依存するかもしれない。
人間がミクさんに依存する度合いが大きいので、ミクさんはスーパースターなのである。
そして、ミクさんが予測不可能なことをするほど、観客は親近感を持つ。
例えば、「マジカルミライ2019」で、3曲目の『愛の詩』を歌った後、ミクさんは、「こんばんはー」と挨拶すると、不意に右方向(会場からは左方向)にトコトコと走っていき、「こっち側のみんなー、げんきー?」と尋ね、その後、「それじゃあ」と言って、反対側に走って、「こっち側のみんなも、げんきー?」と尋ねる。
こんな予想外の行動を見て、観客は、ますます、ミクさんを自分と同等と感じ、親近感を持つのである。
また、「マジカルミライ2018」からは、日によってセットリストを一部変えているが、これも、ミクさんの予想外の行為と感じ、さらにミクさんを人間らしく感じるのである。
そんな演出を考えるスタッフはやはり感性が優れているのだと思う。













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