生き辛い人というのがいる。
生き辛い人というのは、自信がない。
自信がない人は、力がない。
そして、力がない人というのは、力が封印されているのである。
力を封印したのは、普通は、育てた親で、多くの場合は実母であるが、そうでない場合は、幼い時に、最も多く接した大人ということになる。
おかしなことに、親に力を封印された子供は、その後、さらに封印を強化する大人や子供に出会うものだ。
力を封印された者は、なるべく早く封印を解除しなければならない。
でないと、下手をしたら、一生、力を封印されたままだ。

海外の場合はさておき、日本人は、大なり小なり(大抵は「大」だが)、力を封印されている。
子供の時に多く封印された者は、学校で致命的に封印され、子供の時に大きな封印を免れた者も、学校でかなりの力を封印される。
岡本太郎は、学校の授業中、両手で耳を固く塞ぎ、神聖なる頭脳に教師の邪悪な教えが入って来ぬよう・・・つまり、力を封印されぬようがんばったが、所詮、学校に行く限り、力の大半を封印されることを避けられなかった。

力は封印されても、若い間は腕力があるので、弱い者同士が集まって、暴力などの犯罪を行うことがよくある。
子供の時と学校で力を大きく封印された者しか暴力などの犯罪を行わないのだが、世の中でどんどん犯罪が増えている通り、子供の力の封印は大きくなっている。
「いや、犯罪は減っているのでは?」と言いたい人は多いだろうが、あまりに力を封印された者の犯罪は隠れたところで行われる。いじめ、セクハラ、パワハラ、SNSでの誹謗中傷などがそれで、もはや、力のない者は、隠れないと、あるいは、自分の身の保全を徹底的にはかった上でないと悪いことが出来ない。
そんな犯罪を行う者は、やはり、弱くて生き難いのだ。

では、力の封印を解除しなければならない。
そのために、宗教や心理学がしゃしゃり出てくることがあるが、それらは、ある程度封印が解除されてからでないと、全く役に立たない。
力の封印の解除には、生贄が必要だ。
生贄は自我である。
どういうことかというと、自我が屈辱にまみれて死ななければならない。
自我とは偽物のプライドなので、そのハリボテのプライドをズタボロに切り裂かれなくてはならない。
殺したいほど憎い相手に、這いつくばって命乞いをしなければならない。
路地裏で残飯を漁(あさ)らねばならない。
そうやって、自我を生贄にして殺した時、封印が解けるのである。
キリスト教の4つの福音書は、それをいろんな角度から描いているのである。
もちろん、だからといって福音書など読んでも無駄で、自我がイエスのように、磔にされて滅ばねばならない。そうすれば、復活があるだろう。
心配しなくても、磔はやってくる。
逃げ出そうとしたことはイエスも同じなのだ。
解雇されるとか、左遷されるなんて、小さな十字架だが、それを利用して自我を殺せば良い。
ニートだって、親に「見捨てないで」と土下座すれば良い。
うまく十字架にかかるべきで、かかり方を間違えて自我を守ってしまい、さらに駄目になっても、それは自分の責任である。

自我が瀕死の状態であれば・・・つまり、プライドがズタボロで、惨めさのどん底であれば、福音書や『バガヴァッド・ギーター』を読めば良いだろう。
尚、変な宗教団体に入ると、自我が復活するので、そんなものには近寄らないことである。













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