日本やアメリカでは、有能な働き手になり、良い立場を勝ち取って、お金を沢山稼がないと、苦しい(時に、非常に苦しい)状況に追いやられる。
そして、お金を多く稼ぐためには、かなり辛いこと、嫌なことにも耐えなければならない。

一方、クリエイターやネットで稼ぐという、新しい働き方が生まれ、それで生活を成り立たせている人もいる。
そんな仕事であれば、好きなことだけをやり、嫌なことをしなくて済むかというと、それは全くない。
「いや、俺は好きなことを自由にやっている」と言う人もいるだろうが、私は信用しない。
例えば、素晴らしい能力のある画家だって、お金を十分に稼ぐには、自分を偽らないといけない。
プロのオーケストラに入れるほどの演奏家だって、自分はモーツァルトのようなのを演奏したくても、嫌々、初音ミクシンフォニーの演奏をしなければならない(笑)こともある(そんな雰囲気の演奏者が多いように感じる)。

また、米津玄師さんのような天才なら、自分の思う通りにやっているかというと、多分、それはないと私は思う。
私は、彼の曲は、ミクさんが歌った『砂の惑星』を別にすれば『Lemon』くらいしか知らないが、あの曲は、ドラマ向けに色をつけたはずで、それが米津さんにとって、楽しかったかというと、どっちかと言うと嫌だったのではないかと思うのだ(勝手な想像だが)。

岡本太郎さんだって、完全に自分の主義だけで生きたかというと、やっぱり、それはあり得ないのだ。
いや、完全に自分の主義でなかったどころか、相当、自分を偽っていたのかもしれない。
いやいや、本当のところは普通の人より、よっぽど偽善的であった可能性もないとはいえないのだ。
人生とは辛いものなのである。

だからといって、米津玄師さんや岡本太郎さんが不幸だと言うのではない。
嫌なことのない人生なんて悲惨なものだ。
悪いこともまた楽しいのだと言えなくもない。

どれほど不幸な人を見ても、身内でもない限り(あるいは身内でも)、それほど辛くはない、あるいは、全く何とも思わないものだろう。
それが冷淡で悪いことかというと、そうでもないと思う。
同情なんて、無理にするものではないし、同情されても何も良いことはない。
同情より良いのは、本当に金である。
ところで、悟りを開いた聖者というのは、自分のことも他人だと感じるらしい。
つまり、自分を、はるか彼方に居る人に思えるなど、自分をほとんど重要視しないものらしい。
それで言えば、岡本太郎さんは聖人とはほど遠かったが、米津玄師さんは、案外、仙人に近いのではと感じ、俗っぽいことも平気で出来るように思える(思えるだけだが)。

仏教も、老子や荘子の道教も、目的は自分を忘れることなのであると思う。ただし、自覚のある状態でね。
ただ、仏教を本当に教えられるお坊さんは少ないのだと思う。
『老子』や『荘子』も、頭でっかちの学者が下らない解説をするので、全く解らなくなっている。
漢文や読み下し文を読む必要はない(不慣れな人だと、文章を逆の意味に解釈する恐れが大きい)。
1冊、読んでみると、1行か2行のことかもしれないが、真理を感得するものである。
それを大切にすれば、自己にこだわらないまま、世界を自由に操る魔法使いにもなれるのである。













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