新型コロナウイルスの発祥地は中国で、そこから世界中に感染が広がったのは、おそらく間違いないと思われる。
ところで、仏教は、中国を経由して日本に入ったのだが、それは、西暦538年説が有力らしく、聖徳太子(574~622)が生まれる30年以上前のことだ。
そして、仏教と共に、日本に天然痘ウイルスが持ち込まれたと考えられている。
感染した中国の僧が日本に来たためである。
以降、日本では天然痘が度々流行したが、735年から737年にかけて奈良時代の、いわゆる、「天平の疫病大流行」では、日本の総人口の25~30パーセントにあたる100万人から150万人が死亡したと言われる。
天然痘は、感染力が非常に強く、また、高熱が続くとか、呼吸不全に陥るなど、新型コロナウイルスに似たところもあるが、比較にならない脅威であったと言えると思う。
奈良の大仏が建てられたのも、天然痘からの守護を求めてのものだったと言われる。
しかし、医学が未発達な時代に、多いとはいえ、死者は3割以下で、しかも、10世紀頃には、天然痘は一種の風土病のようなものになり、壊滅的なものではなくなっていた。伊達政宗が片目を失ったのも、幼少の時に罹った天然痘によると言われるが、これはつまり、それほど恐ろしい天然痘に感染しても、子供でも、回復することを示している。尚、天然痘ウイルスは、1980年までに絶滅したとされ、天然痘ウイルスは、人類が根絶させた唯一のウイルスである。
ただ、密かに保管されていたり、人工で作ることで、生物兵器として使用される可能性はなくはないと言われている。

従って、コロナウイルスも、放っておいたところで、やがては集団免疫が出来るという、それほど恐ろしいものではないのも確かで、スウェーデンは、一定範囲内であるが、そんな考え方に則った方針を実施している。
ただ、そうは言っても、現代では、1人の命を重く見、また、老人が被害に遭うことを強く問題視する等、人道的に優れた思想が確固としたものになっている。
何より、「万一、自分が感染し、重症化したら大変」という部分も大きいはずである。
しかし、感染し、かつ、重症化する可能性は、交通事故に遭う可能性と比較にならないくらい小さい。
また、受動喫煙(自分は煙草を吸わない人が他人の煙草の煙を吸うこと)で年間15,000人も死んでいるのに、事実上、路上喫煙は放置され、大手を振って歩きタバコをしている者はいくらでもいるのだから、どうも、コロナ対策も、いまひとつ真剣味がないのも、仕方がない部分もあると思うのだ。

自然は、新型コロナウイルスで何を教えようとしているのだろう?
私は、それは、好きでない人に近寄られない権利が、どんな人間にもあり、それが、神を宿した人間の尊厳であることだと思っている。
「寄るな、触るな、こっち見るな、音も臭いも伝えるな」
である。
自然に引き合う者どうしだけが接近すれば良い。
販売やサービスにおいて、ある程度の接近はあり得る。それは確かに、報酬のための犠牲であるが、そこにだって限度がある。
そういったことが守られることが平和なのである。
熟慮するなら、そうであることが分かるはずだと私は思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。Kindle版は販売中、紙の本は5月30日発売。
全ての人が本書により、AIで自己を拡張するきっかけになっていただけることを目指して書きました。
今や、AIは誰でも作れます。しかし、そのためには、易しく面白いテーマにより、実際に自分でAIを作る経験が必要です。
Excelが一通り使えるスキルがあれば、それが出来ることを意図しました。
実習で使うデータを自動作成するExcelマクロも多数用意し、出版社サイトから無料ダウンロード出来ます。
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ