『涅槃業』の冒頭に見られる、釈迦の繁栄の法則は、一言でまとめると「敬うべきを敬う」と言えると思う。
一応は、敬うべき相手として、老人、淑女、少女、先祖、修行者、法律、国民などを挙げてはいるが、実際のところは、「敬うべき相手が誰か解る」ことが大切なのである。
そして、敬うべき相手が敬われていれば繁栄し、そうでなければ滅ぶ。

家庭では、父親が敬われていれば、その家庭は繁栄し、そうでなければ家庭は崩壊する。
会社では、社長はもちろんなのだが、敬うべき立派な社員が敬われていれば必ず繁栄し、そうでなければ滅びる。
しかし、多くの会社では、敬うべき社員が軽んじられ、敬うべきでない者が幅を利かせているが、そんな会社は、社長が敬われていないものである。
ただ、確かに、敬う値打ちのない父親や社長というものがあり、そういった者が父親や社長になったのが根本的な間違いではあるが、そんなことが起こるのも、敬うべき者が敬われなかった結果である。

ところで、「敬う」とは何だろう?
今、新型コロナウイルスの影響で、ソーシャル・ディスタンスという、他者から2メートル(最悪1メートル)の距離を取ることが推奨されている。
この、ソーシャル・ディスタンスを取ることが、敬うことであることは間違いないのである。
説明する。
かつて、GM(ゼネラル・モーターズ)の子会社であるサターンが日本に進出してきたことがあった。
サターンのキャッチフレーズが興味深かった。
「礼をつくす会社、礼をつくす車、サターン」
「礼をつくす」とは、まさに「敬う」ことである。
それに関しては、サターンは良い理解をしていた。
何をしたかというと、来店したお客さんに積極的に声をかけない「ノープレッシャー・セールス」を社員に教育したのだ。
それにより、女性でも来店し易いようにしたのである。
日本では、サターンは、あらゆる面で品質が悪かったので成功しなかったが、その誠実な営業戦略は、アメリカでは確かに成功していたのである。
そして、コロナの影響で、日本では、あらゆる業種の店舗で、不必要にお客さんに声をかけない「ノープレッシャー・セールス」が行われるようになり、これは好評である。
なぜなら、それは、客が敬われていることだからだ。店舗はやっと、そのことに気付いたのである。

このように、距離を取ることこそが敬うことで、これが行われるところは繁栄する。
ところで、最も過酷なイジメは「無視」であると言われる。
そして、「無視は、いじめる対象と距離を取ることではないのか?」と言う者もいるかもしれないが、これはもう絶対に違う。
本当に無視するなら、それは確かに、素晴らしいソーシャル・ディスタンスである。
しかし、イジメの無視は、距離を置いているようでいて、邪念を密着させているのである。
一方、敬いのソーシャル・ディスタンスは、距離の間に何もない。全くの無である。
邪念のない透明な空間を持つことが、敬うということで、これが行われる場所は、繁栄があるのみで滅びは無い。

人は、不快になった時「放っておいて!(leave me alone)」と言う。
これは、汚れた心を含め、近寄って来ることをやめろという意味である。
つまり、敬われていない、蔑まれていることに痛む心が、「放っておいて」と言わせるのである。
だが、放っておいてもらいたいなら、自ら、他者を放っておくことだ。
けれども、往々にして、他者をべったり頼り、自分の方が他者にみだりに密着する者が「放っておいて」と言うことがあるが、これは、ただの甘えである。
放っておいて欲しければ、自分も他者を放っておき、自分のことは自分でやらなければならない。
つまり、皆がソーシャル・ディスタンスを取る世界こそが、進歩した社会である。

コロナウイルスで人類は終るのか?
これは、長谷敏司氏のSF『BEATLESS』で、超高度AIヒギンズの電源を切る時に主人公のアラトが言った通りでありたい。
「人類が終わるんじゃない。僕ら人類の、少年時代が終わるんだ」













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