童謡『夕焼け小焼け』は、日本人ならほとんどが知っているのではないかと思う。
この歌の中で、日が暮れて夕焼けになる時、山のお寺の鐘が鳴る。
中村雨紅(なかむら うこう)が『夕焼小焼』を作詞したのは1919年(大正8年)といわれる(草川信が曲をつけたのは1923年)。
セイコー(精工舎)が1913年には日本国内で腕時計を作り始めていたので、『夕焼小焼』の頃には、山のお寺にだって、置き時計の1つはあって、決まった時刻に、お坊様が鐘を鳴らしていたのではないかと想像する。
マザー・テレサは生涯、鐘の音に従って生活していたが、彼女の頭の中ではずっと、あらゆる聖歌と共に、鐘の音が鳴っていたという話がある。

鐘の音は神秘であると思う。
笹沢佐保の時代劇小説『木枯し紋次郎』の中で、寺からなる鐘の音を「余韻嫋々(よいんじょうじょう)」という言葉で表現していたが、まさに、鐘の音のことを表現するのに適した言葉と思う。
とくPさんによる初音ミクさんの曲『SPiCa』では、切ないピアノの音を「余韻嫋々」と歌っているが、音楽を超えた心の音をこのように言うのだと思う。
中村雨紅が子供の時に聴いたであろう、山の寺の鐘の音は、やはり「余韻嫋々」であったのだろう。
マザー・テレサが聴いた鐘の音は、鐘楼(しょうろう、しゅろう)という建物(鐘つき堂)のものと思われるが、聖堂と言われる建物の上階には、そんなものがあるというおぼろなイメージがある。やはり聖堂に、余韻嫋々たる鐘の音は欠かせない。

ところで、マザー・テレサと言えば、愛と信仰の人という観念が強いし、全くその通りかもしれないが、恐るべきビジネス手腕を発揮して巨大な救済組織、教会、病院を設立・運営した。そうでなければ、彼女の名がここまで知られることはなかったし、ノーベル平和賞を受賞することもなかったはずだ。また、彼女はインドの複雑多様な多くの言語を見事に話せたという。
また、小柄でか細い外見から想像出来ないが、行き倒れの男2人を担いで連れ帰る体力もあった。
つまり、驚くべき能力を持っていたのだ。

超人的能力については、物理学者の保江邦夫氏の著書『神様につながった電話』で、奇跡的な手術をする医者が、手術中に頭の中で祝詞や讃美歌を唱えたり鳴っているという話があるが、上に挙げた、マザー・テレサの頭の中で、聖歌や鐘の音が鳴ってたという話も、この本に載っていた。
保江氏は、それが、無になり、神の力が出る原理のようなものであり、そのためには、般若心経でも、他のお経でも、何でも良いのだと述べている。

それで、私は、鐘の音について、よくよく考えたのである。
鐘の音を聴いたことがない人はいないだろう。
その音を、余韻嫋々、頭の中で響かせていれば、心は無に導かれるだろう。
心が無になった人間に不可能はない。
もちろん、保江氏の言うように、聖歌、お経、祝詞、お気に入りのもの何でも良い。
『アヴェ・マリア』でも良いというから、私にはお気に入りの『アヴェ・マリア』合掌が2つあるので、鐘の音と共に、それも頭の中で響かせておこうと思う。

世界的音楽家だった冨田勲氏の晩年の作品『イーハトーヴ交響曲』の第五楽章『銀河鉄道の夜』は、コンサート・ベルというのだろうか鐘の音の楽器で始まり、直後、初音ミクさんが歌い始める歌の中で、「ケンタウロスよ露降らせ、シャラシャラシャラ」の後、「キンコンカン」「カランコロンカランコロン」と鐘の音を涼やかな可愛い声で歌う。
宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』の中で、何度か、「ケンタウロスよ露降らせ」という言葉は出てくるが、鐘の音とはつながりがなかった。
しかし、この2つをつなげたところにも、やはり冨田氏は天才だったのだなあと感じるのである。













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