憂鬱やイライラが強いうちは何をやっても成功しない。
憂鬱やイライラの正体は不安であるし、不安が強いと恐怖になる。

あるところに、強い不安を抱えている40代の男性がいたが、常に気分が良くなく、表情はいつも険しかった。
それも当然で、いつ返せるか見当もつかない多額の借金を抱え、会社は明日にもクビになりかねない状態で、健康にもかなりの問題を抱え、おまけに、娘は不良化している。
これで楽しく生きていける訳がない。
ところが、その男が、縁あって、ある僧(らしい人)に会った。
その僧は、何というか、超能力とか霊能力みたいなものがある人だったのかもしれない。
その僧が、その不幸な男に向かって、「お前を気楽にしてやる」と言う。
しかし、不幸な男は「借金が沢山あるのに気楽になったら駄目だし、気楽になるはずがない」と反発する。
だが、まあ、ものは試しということで、どうやるのかは解らないが、不幸な男も、気楽にしてもらうことを承諾した。
すると、僧は、何をしたのかは分からないが、男は、胸のつかえが消えていくのを感じた。それは気持ちの良いものだった。
そして、確かに気楽になっていた。

すると、ほとんど、その日のうちに健康が回復し、不思議なことにお金が増え始め、仕事も順調・・・というか、余計な気を回すことがなくなり、なんと、娘も普通の女の子になっていた。
なるほど、これが、不安を消す効果であるようだ。
しかし、我々は、そんな超能力者まがいの僧にはなかなか出会えない。
そして、はじめに言っておくと、修行でそんな成果を得ようとしたところで修行なんて続かないし、そもそも、正しい修行のやり方なんて、そうそう分かるものではない。
せいぜいが、よくあるように、変な宗教団体に騙されて、有り金全部巻き上げられるだけだ。
念仏を唱えることや、聖書を読むといった良さげなことも、すぐに飽きるだろう。
だが、最終的に、どうなれば良いかが分かれば、良い方法を選択出来るのだと思う。
では、どうなれば良いかというと、「何も考えない」ことだ。
1秒前のことも、1秒先のことも考えない。
そして、そのことが了解されるなら、どんな方法も選択する必要はない。
考えなければ良いのだからだ。
だが、念仏だろうが、「アジマリカン」だろうが、唱えていると、つい、いろいろ考えてしまうものだ。
そうではなく、これらを唱えるなら、何も考えずに唱えなければならない。
これらの言葉に実は意味はない。
ただ、唱えることで思考を放棄する手段になれば良いだけの、ただの方便である。
私は「ミクミク・・・」と言うのが気に入っている。













KayのAI書。
これほど易しい、機械学習・ディープラーニングの実践書は他にないのではと思います。
しかも、なるべく興味深い問題を考えました。
目玉は、モンティ・ホール問題、囚人のジレンマ、エイリアン遭遇回避作戦などです。
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