2400年ほど前、中国に荘子(そうし)という賢者がいて、彼が『荘子』を書いたといわれている。
荘子の教えを知れば、一生安全に楽しく生きられるし、荘子の教えは単純だ。
中国の賢者としては最も有名な孔子が、釈迦と同じくらいの時代の人で、荘子よりいくらか先の、2600年ほど前と言われる。
また、荘子の「道の教え」の先輩格にあたる老子は、孔子と会っているという話もあるので、やはり、孔子と同じ時代であると言われるが、孔子と老子が本当に会ったかどうかは疑わしいと考えられており、そもそも、老子は実在の人物かどうかも疑問視されることがある。
『抱朴子』の中で、孔子が老子に会いに行った話があり、孔子は、老子の、自分など足元にも及ばない桁外れの力量を感じ、すっかり打ちのめされたとある。
まあ、それも疑わしい話の1つなのであるが、それがたとえ伝説だとしても、孔子は少なくとも、老子の力をそれほどまでに理解したのだから、やっぱり偉大であるという論が成り立つかもしれない。知恵のない者であれば、老子に会ったところで、老子が大人物であることすら解らないだろう。

さて、荘子の教えを一言で言えば、「無為自然」であり、これ自体は老子も同じと言って良いと思う。
「無為自然」とは、「何もせず、自然のまま」ということで、最も解り易い言い方をするなら「なりゆきにまかせる」だ。
敢えて補足するなら、「是非好悪の判断をせずに、全てをなりゆきにまかせる」となる。
「是非好悪」があれば、どうしても、「こうあるべき」とか「こうなって欲しい」という想いが生まれ、自然の流れに任せず、流れ(なりゆき)をコントロールしたくなる。
荘子は、それがいけないと常に言う。
それは、普通の人には、なかなか納得出来ない。
さらに、もう1つ問題がある。
それは、荘子は、なりゆきにまかせれば、金持ちになれるだの、モテモテになるだのとは「ほとんど」言っていないことだ。つまり、「お得でない」ので、それが、現代人が素直に荘子の教えに従おうとする気を起こさせない理由かもしれない。だが、そこらは、時代を考える必要がある。
当時の庶民は、支配者の前に全く無力で、君主そのものは立派でも、今も同じで、「そこそこ偉い人」は、利権を握り、自分が良い思いをするために庶民を搾取する。
当時は、生まれの卑しい者がサクセス出来る可能性は、ほぼ全くなかった。
しかし、そんな中でさえ、荘子は、ごく小さくだが、「うまくいきまっせ」と言っているのであるから、現代でそれをやれば・・・まあ、その気になれば大成功するかもしれない。

老子と荘子の違いは、老子は基本、君主の教えであるのに対し、荘子は汎用的、オールマイティーであることだ。
とはいえ、基本は同じで、教えの要諦は「無為自然」である。
しかし、老子に批判的だったのが、あの、二宮金次郎として知られる二宮尊徳(にのみやたかのり)だ。
彼は、老子の「無為自然」をこう批判する。
「無為自然になって、畑に手を入れないと、畑は荒れる」
「無為自然になって、家に手を入れないと、あばら家になる」
いや、それは極端論と言うものだが、極端論に行ってしまう人も少なくない。
とはいえ、極端論が出るということは、ある程度、豊かであるということなのだ。
安倍総理が、金持ちらしい家で、金持ちらしいソファで、金持ちらしい服装で、金持ちらしい愛犬と、金持ちらしく寛いでいたら、すぐに、「庶民と感覚がズレている」「仕事やる気がないのか」といった極端論を言う者が多い。
「アミ、小さな宇宙人」では、極端論は馬鹿の証拠とか書かれていたが、まあ、それは置いておく(笑)。
これに関しては、私が好きな、スーフィー(イスラム神秘主義)の格言を挙げておく。
「神を信用しろ。だがラクダはつないでおけ」
いくら無為自然と言っても、ラクダをつなぐことくらいはしなければならないのである。













Kayが、5月11日にAIの本を出します。

自分で、面白い問題をAI化して推測させることで、AIを実際に使えるようになることを目指します。
それが、今後の時代で必須になります。
数学、プログラミングは、一切不要ですし、Windowsパソコン、Excel以外、お金はかかりません。
この本で、ソニーの無料のスーパーAIアプリ、NNCを使えるようになりましょう。
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ