私には解らないのは、新型コロナウイルスに感染しないため、あるいは、万一感染しても他人にうつさないためには、単に、群れなければ良い、つまり、他人とくっつかなければ良いだけなのに、それが出来ない世の中だったり、それが出来ない人間が多いことだ。
なぜ、そんなに無闇に他人とくっつきたがるのだろう?

実際、スーパーでも書店でも病院でも、どこに行っても、私が誰もいない場所に1人でいると、必ず近くに寄って来る人がいてゾっとするのだ。
それは何度も書いたが、冷静に考えてみても、私の勘違いではないと思う。
他人とくっつきたがる性質に関しては、やはり以前も書いたが、空いた駐車場の、他の車がおらず、来そうにもない場所に車を止めていても、用事を済ませて車に帰って来ると隣に別の車が止まっているということは、やはり、よくあることのようである(トナラーという俗称が出来てすらいるらしい)。

やたら大きな音を立てたり、遠慮なしに大きな音のくしゃみをする者というのは、自分に注目を集めることで、他人に寄っていける雰囲気を作っているのだと思う。
また、家の玄関や車のドアを、無駄に大きな音で閉める者というのも群れたがる者だ。
だって、1人でいるべき時には1人でいようとする者が、やたらと他人の注意を引く真似をするはずがない。

ところで、「アンサーバック音」というらしいが、自動車のドアロックを解除した時に音が出る車があるが、別に深夜に限らず、あんな迷惑な音を立てて平気な者は頭がおかしいのだと私はずっと思っていたが、なんと、あの音を消すのは自分では出来ないものらしい。それなら、頭がおかしいのは、車の設計製作者ということになろう。
しかし、もし、あんな音が出るなら、なんとか消そうとしたり、やめるようメーカーに意見する人が多くて当然と思うが、そうではないのだろうか?
昔は、ガラケーのプッシュ音を消さないまま電車の中で使っている者は、周囲からは迷惑だったが、あれも、音が鳴る方が初期値になっている・・・それ以前に、音が出るように作る者がおかしいのである。
こういう非常識がまかり通る世界だから、新型コロナウイルスが蔓延したと思えてしまうのである。

こういったことを見ていると、少なくとも目につく範囲でいえば、いったん、人類は終わっていいよと私は思ってしまうのだ。
だから、不謹慎を承知で言うなら、新型コロナウイルスは、必要があってやって来たのだと感じる。
自分を含めた人間の権利を本当に尊いと思う者は、他人の権利も尊ぶ。
そんな者は、可能な限り、自分が勝手に立てた音を他人に強制的に聞かせようとは決して思わない。
他人が聞く必要のない音を平気で立てる者は、実際のところ、自分のことも安っぽく思っているのである。

緊急事態宣言が出されたら、バーなども開店しないよう要請され、強制力はないと言っても、開店を続けたら名前を公表されたり、その他、権力を傘にきた嫌がらせをしてくるだろうから、事実上の強制である。
しかし、1人で静かに飲めるバーがあれば、政府に逆らって開店していたら私が行く。
オーナーの人間性が現れた素晴らしいバーはあるはずだ。
そこで他人と接触する訳ではないのだから、感染は、うつる方もうつされる方も起こらない。

塾も休業が要請されるようだが、カーン・アカデミー(世界最大の無料のオンライン学習システム)のようなものがあれば良いと思う。
パソコンやスマートフォンを使う遠隔授業でも、見たくもない教師の顔を映す時代遅れなものがよくある。
カーン・アカデミーでは、その弊害をはるか昔に理解し、説明もしていたのに、公教育だけでなく塾もあまり進歩してないのだろう。

最近では、新型コロナウイルスが収束したとしても、そこは、以前の世界とは大きく異なると言う者は増えてきた。
だが、どう変わるかは、誰もあまり解っていないのだと思う。
少なくとも、それは、人々がやたら群れる世界でないことは確かだ。
オリンピックや高校野球甲子園大会などは決してない世界である。
そんな世界を作ろうとしないなら、人類はいったん終わっても良いかもしれない。
私は、そう思うのだ。













Kayと数学講師Mr.Φが送る、文系学生にも適したAI・機械学習の実践的入門書。

勝手なことを言えば、本書を全国の大学・高校に置いて欲しいと思っています。
この本で、誰もがAIを使えるようになり、政府や巨大IT企業にプライバシーを丸裸にされて支配されない知恵を得て欲しいと願っています。
  
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