どれほど優秀な人間だろうが、1人で出来ることはたかが知れている。
では、チームプレイなら良いのかというと、そうでもない。
よく、人間が協力した時の力は、1+1=3、2+2=10と、単なる足し算ではないと言う人がいる。
確かにそうかもしれず、10や20の力で済む小さなことでなら、チームのメリットは明らかだが、1000とか2000の力が必要なことでは、どうでも良いことだ。
大きなことをするには、人間の心の中にある、不思議な力を使わなければならない。
その力のことを、大雑把に潜在意識の力と言ったり、超意識とか、超越意識と言われることもあるが、これに関しては、共通した定義を作るほど正確なことは解っていない。
だが、その力を「神」と呼んだ聖書は、その力の原理を正しく記述している。
そして、我々は、その力の原理に則り、この力を活用出来れば良いのである。

つまり、心の中に大きな力があるのなら、自分で事を為さず、その大きな力にやってもらえば良いというのは単純な理屈である。
このことを、聖書では「神が私の代わりに戦ってくれる」と言う。
例えば、今が戦国時代として、あなたはそこそこの剣の腕前を持ち、10人ほどのチームメイトも、全員がわりと強いとしよう。だが、そんな程度で安心出来るだろうか?
敵が百人以上の、鍛えられ、戦い慣れた賊や兵士なら、全く勝ち目はない。
けれども、神の軍団が味方なら、それはレーザー砲を持った精鋭軍団よりはるかに強いのだから、あなたは全く心配する必要がない。
神の軍団に代わりに戦ってもらい、のんびりしていれば良い。
世の中のことは、この喩え通りである。
とはいえ、たとえ神の軍団が味方でも、あまりにリラックスして酔っ払って崖から転落したら最後だし、遊びまわって敵に捕まったり、不摂生で病気になってはどうにもならない。あるいは、神の軍団の力を自分の力と思い違いし、嫌がる女の子に無理強いして付き合ってもらおうとしたら、誰かに隙をつかれて刺されたり、そもそも神の軍団に見捨てられかねない。つまり、神は代わりに戦ってくれるが、あなたはあなたで、すべきことをしないといけない。
このことを、スーフィー(イスラム神秘主義)では、「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」と言ったのである。
神(潜在意識の力)が代わりに戦ってくれる。
しかし、あなたは、代わりに戦ってもらえる、守ってもらえるだけの者でなければならない。
そのためには、放埓(勝手きまま)にふるまたい気持ちを抑え、自己に制約を課せば良いだけである。
例えば、朝は必ず5時に起きるとか、満腹するまで食べて自分を甘やかさないとか。
天下でも取りたいというのでなければ、かなりゆるい制約で良い。
自分に制約を課していれば、つまり、掟を決めて守っていれば、「神が代わりに戦ってくれる」と思い易い。
そして、実際に、「神が代わりに戦ってくれる」と言葉で言ったり、思ったりすれば良い。
これが、人間を超えた力の使い方である。

新型コロナウイルスに対しても、科学的研究ももちろん大事であるが、それよりも、人間は自分が出来る、当たり前のことをして、後は神様に戦ってもらうと良い。
というより、それより他にやりようがない。今回の新型コロナウイルスはまだ、何とか出来そうな気がするかもしれないが、もっと凄いのが出てくる可能性はいくらでもある。
オリンピックや高校野球甲子園大会で大儲けを狙って大衆を煽り、密集するほどに集めるようなことや、人々を奴隷にして、満員電車で通勤させ、オフィスに閉じ込めることもやめなければならない。
そして、皆が、自分に向いたことをやり、互いに尊重し、思いやりを持って接する。
そんな世界であれば、ウイルスに苦しめられるはずがない。







  
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