洋の東西を問わず、特に熱心な祈りの時にはひざまずくイメージがある。
その訳は、どうしても叶えたい強い願いがある時には、直感が強く働き、ひざまずくことが有効であることが分かるからである。
だから、特に願いが強い場合は、自然と片膝をつくものである。
両膝をつく場合は、やや決意に弱さ、鈍さがある。
実は、片膝をつくことが重要なのではなく、しゃがむだけで良いのであるが、それだとバランスが悪いし、長時間、その姿勢を保つことが難しいこともある。

なぜ、熱心な祈りの時にはひざまずくのかというと、腹に力が入るからだ。
人間は、腹から力が抜けた時に、悪い想念が起こるのである。
明治・大正の偉人、岡田虎二郎が、「常に腹に力を込めよ」と教えた理由はそれで、悪い想念、邪まな想いが心の中に入り込むのを防ぐためである。
人間は、心で思ったことを実現させる力を持っている。
しかし、心の思いが明瞭でなければ、その思いは実現し難いのであるが、思いにノイズを起こさせるものが、腹から力が抜けた時に起こる悪い想念なのである。
つまり、何かの目標を達成したいと思っていても、腹から力が抜けていると、「そんなこと出来っこない」「きっと失敗する」という想念が起こってしまい、結果、その目標を実現するために十分な心のエネルギーが得られず、失敗してしまうのである。

だから、肝心なことは、腹に力を込めることなのであるから、必ずしもひざまずく必要はない。
腹に息を吸い込み、ぐっと息を詰めると、自然に腹に力が込もる。
そんな時に、何かを願うと、それは実現する。
ある大作詞家は、息を十分に吸ってから息を止め、曲がヒットする様子をイメージし、息を吐いたら全て忘れるという。
そうして作った曲はヒットするが、それをせずに作ったヒットした試しはないと言っていたらしい。
(『強くなる瞑想法』表紙折り返しの阿久悠氏の言葉)

腹に力を込める方法は無限にある。
好きなやり方でやれば良い。
その中でも、腹に息を沢山吸って止めるのは良いやり方である。
岡田虎二郎の「岡田式静坐法」も、腹に息を多量に吸って止める方法を取り入れている。
腹に力を込めて、言葉で願ったり、願いが叶った様子をイメージすれば、確実に、その実現に近付く。
力が込もった腹は、心に磁力を発生させ、願うものを引き寄せるのである。
ただ、顔が赤くなるほどの万力の力を込める必要はないし、込めてはならない。そんな不自然なことが長く続くはずがない。
ひざまずいた時程度の、軽い力を込めれば良いのだ。
しかし、普段、腹から力が抜けていて、悪い想念に支配されていれば、願いを叶える力は打ち消されてしまったり、マイナスの状況を作ってしまいかねない。
だから、弱い力で良いので、出来るだけいつも、腹(ヘソのあたりで良い)に力を込め続けるべきである。

イエスも教えていたが、よく言われるのが、願いが叶ったかのように振る舞えば願いは叶う。
だが実は、願いが叶ったかのように堂々と振る舞う時というのは、腹に力が込もっているのだ。
逆に言えば、腹から力が抜けていれば、自信を持って、願いが叶ったように振る舞えない。
だから、腹に力を込め、願いが叶ったかのように振る舞えば、確実に願いは叶うのである。







  
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