育ちの良さを極端に表現する言葉に「箸より重いものを持たない」というものがある。
出典は歌舞伎らしく、なかなか由緒ある言葉のようだ。
もちろんこれは、普通の人がやらなければならない、煩わしいこと、しんどいこと、格好悪いことの多くをしなくて良い・・・お手伝いさんなどがやってくれるということだし、通学もお抱えの運転手が送ってくれるといった、庶民とは違った境遇を大袈裟に言ったものである。

ただ、そんな時に注意しなければならないのは、普通の人がしなくてはならないことを免除される代わりに、普通の人がしない特別なことをするのが本当の貴人であるということだ。
お金持ちであっても、成り上がりの者というのは、そんなことが分からず、自分の子供に、他の子供がやっていることをやらせないのに、特別なこともやらせないのである。
結果、自分の子供は、どうしようもない駄目な人間になってしまう。

ところが、今の普通の人は、かつての王侯貴族より豊かなのである。
誰もがしなければならないことはわずかになり、それも短時間で終えることが出来る。
そして、誰もしない、自分だけがやることを自由に選べるが、その選択範囲は昔の大金持ちよりはるかに大きい。
それなのに、他の人達と同じことをするのは愚かである。
いまだ社会を支配するのは、平民が長時間かけて同じことをしていた時代の価値観であり、皆に同じことをさせようと強制する力があり、人々の方も、皆と同じことをしたがる。
新型コロナウイルスは、もう、群れて皆と同じことをするのを止め、引きこもっているように見えても、自分独自のことをやりなさいという天からのメッセージかもしれないし、そう受け取るべきだと思う。

しかし、多くの人は、自分独自のことをどうやるか分からない。昔のスポ根もののように、過激な鍛錬なんか3日と持たない。
ピアニストやヴァイオリニストになるには、誰よりも厳しい練習をしなければならないと思い、過剰な練習をした結果、手が駄目になってしまうということが本当にある。
1万時間の法則というものがあり、トップクラスになろうと思ったら、1万時間の訓練が必要であるが、それは、ずっと「ぜいぜいはあはあ」と悶え苦しむ1万時間ではない。
メジャーリーグの最後の4割打者テッド・ウィリアムズは少年時代から、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがるほどだったが、ずっと全力でバットを振っていたのではない。時にはぼーっとバットを構えていたこともあったはずだ。
サッカー王国イタリアでは、サッカー選手志望の少年達に、常に難しい練習をしろと教えるのではなく、単に、常にボールに触れることを薦めるだけだ。
そして、大選手ほど、日常が練習になっているものである。

一流のガンマンは常に銃を手元に置き、一流の狩猟者は懐にいつもお気に入りのナイフを忍ばせていた。
護身の意味もあったが、宮本武蔵は1日24時間、木刀に触れていたという。
一流のプログラマーは常にノートパソコンを持ち歩くか、そうでなくても、いつでもアルゴリズムを書き込めるノートとペンを持っていたり、あるいは、頭の中でいつもプログラムのことを考えているのである。
仙人の口元はいつも呪文があり、法然は何をしていても念仏を唱えていた。
注意したいことは、宮本武蔵は、常に木刀を振り回していたのではなく、ただ、常に触れていたのである。
あなたも、あなただけがやる特別なことに、ただ触れる程度で良いが、常に触れていなければ大したものにはなれないのである。








  
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