正直に言えば、「ピカソの絵のどこがいいのか全然解らない」と思ってる人が大半だろう。
美術の専門家や自称芸術が解る人がピカソの絵のどこが素晴らしいかをあれこれ言うのを、私も見たり聞いたりしたが、どれ1つとして覚えていない。
もし、その人達の話が本当のことなら、たとえ理解出来なくても、何かは覚えているはずである。
だが、そうではない。
つまり、間違いなく、そんな話は全部嘘で、単に、甚だ疑わしい個人的見解に過ぎない。

ピカソやダ・ヴィンチの絵のどこに価値があるかの本当のことを言うなら、単に彼らが有名だからだ。それ以外に理由はない。
ゴッホの絵も、今日では凄く値打ちがあるが、ゴッホが生きている間は、彼の絵は1枚も売れなかった。
それだけでなく、ゴッホは、ルノワールやセザンヌ、マネらといった今日では超有名な画家達の交流会にも参加し、自分の絵も披露していたが、誰もゴッホの絵に興味を持たなかった。その理由は、ゴッホが無名だったからだ。
つまり、絵そのものに、それほどの価値がある訳ではないのだと思う。
例えば、人気芸能人が、権威ある絵のコンクールでよく賞を取っているが、それもやはり、それらの芸能人が有名だから価値が認められるのである。絵そのものに優劣なんてない。
もし、ピカソが無名だったら、誰も(芸術の権威者も含め)ピカソの絵を高く評価しなかったはずだ。
実際、有名でないセザンヌは、権威あるコンクールに何度出品しても、全く駄目だったことからも明らかだ。
それを、「セザンヌは先進的で、当時流行の画風と違ったから評価されなかった」とよく言われるが、画風なんてものが解らない一般の現代人でも、「セザンヌはいいなあ」って言うのだから、やっぱりそれは嘘で、単に有名かどうかの問題であることが解る。

キャンバスに線が1本描かれただけの名画というものがある。
多くの人は、そんな絵に対し、「私には、子供が描いたような絵にしか見えないが、見る人がみれば良さが解るのだろう」と思うのだろう。
いやいや、それは確かに、子供が描いたような、誰でも描ける絵だ。
しかし、作者が有名なので名画なのだ。

まあ、確かに、ダ・ヴィンチは絵が本当に上手いし、ミケランジェロの彫刻の技術は高い。
しかし、彼らと同程度に上手い画家や彫刻家はかなりいたし、いるはずだ。
昔は、名画を真似て複製画を描く画家が多かったが、絵の上手さそのものは、複製画家の方がオリジナル画家より上手いことが多かったのだと思う。

有名な画家になるためには、昔なら、権威筋への売り込みが大切だった。それに成功しないと、どれほど絵が上手かったり、良い絵が描けても有名になれない。
よって、一流画家にはなれない。
そして、ほとんどの画家は営業が下手なので、画家は食えないものと決まっている。
だが、時代は変わり、絵で食べられる人が増えてきた。
丁度、大手音楽会社が音楽業界を支配していた時には、そんな大手音楽会社が決めた歌手だけが歌で食べることが出来、他の沢山のミュージシャンは、実力はあっても全くお金が得られなかった。
しかし、多くの人々がCD等の物を買わない時代になり、ネットで配信すれば、良い音楽であれば、そこそこファンが付き、ミュージシャン達はネットやライブで儲かるようになった。
全部とは言わないが、音楽界の癌は、大手音楽産業だったのだ(大手音楽産業が音楽界の発展に貢献した面もある)。

絵やイラストでは、今も、一部の人気画家や人気イラストレーターに利益が集まるが、有名でなくても、ネットをうまく使える人は収益を上げられるようになってきた。
しかし、それには、一定の実力はもちろんだが、絵だけ、イラストだけというのでは厳しく、他の自分の特技(あるいは特徴)と組み合わせることで、収益が得られるのである。
実際、Webで自分の絵を展示している人の中には、コンクールでも賞を取るなど、実力もあるのに、さっぱり人気がない人が沢山いる。
本当にもったいないと思う。
単に上手い絵が描ける人なら、言っては悪いが、はいて捨てるほどいるので、別の何か(その中には人間的魅力も含まれる)と組み合わせ、上手にアピールしなければならないが、それは、学校や会社でのアピールと全然違うのである。
また、上手くいっている人の真似では、大抵駄目だ(高いリスペクトゆえに本気で真似する場合はうまくいくこともある)。
まあ、そこで必要なのが、想像力とか個性と言われるものなのであるが、売れない人に一番足りないのは自己暗示をかけることだ。
多くの人は「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、凄い画家は「俺は天才画家だ」と思っているが、そう思えるためには自分で自分に「俺は天才画家だ」と言わなければならないのである。
岡本太郎なんて、「俺は宇宙だ」「俺はピカソを超えた」などといつも言っていた。だから彼は大画家なのだ。
彼の絵なんて、全然大したことないと言う一流画家は少なくない・・・というより、それが正直なのだと思う。
だが、岡本太郎は、自分が偉大であることを認めていた。
「俺は父母に生んでもらったのではない。自分で決意して生まれてきたのだ」と平然と言い放った。
岡本太郎が凄いからそう言ったのではない。そう言ったから岡本太郎は凄いのである。
だが、岡本太郎が絶賛した縄文土器は、貴重品ではあっても高級品ではない。誰が作ったのか分からないからである。








  
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