教科書に載っているような科学的根拠は多分ないが、超能力を獲得する呼吸法を述べる。
ちなみに、私は、教科書に載っているような科学のみが真実だとすれば、(詳細は省くが)何度も死んでるはずで、それ(教科書に載っている科学)はそれで正しい部分もあるが、それよりも、長年に渡って、判断を保留しつつ覚えていた知識に対して静かに深まる信頼(いずれは確信に変わる)は、より確かなことと思う。
喩えて言うなら、真の知識は高い木に成った果物のようなもので、それを得るには、それが落ちてくるのを待つのが良いのである。忍耐強く待つなら、それは丁度良いタイミングで落ちてくる。

自然に超能力を獲得する呼吸法は、インドの聖者ラマナ・マハルシの言葉を長年に渡って収録したものを注意深く英訳した書物である『Talks with Sri Ramana Maharshi』の中にあり、おそらく翻訳書は『ラマナ・マハルシとの対話』(福間巌訳。ナチュラルスピリット)だと思うが、私は、これはあまり見ていない。
私は、『Talks with Sri Ramana Maharshi』の抜粋版と思われる『南インドの瞑想』(おおえまさのり訳。大陸書房)で見た。
多くの呼吸法と異なり、吐息(出息)から始めるところが良い。
言葉を心で唱えながら行うが、その言葉は日本語の方で良いと思う。ただ、インドの言葉にマントラ的な響きを感じる場合には、それを使うと良い。

(1)出息「私はこれではない(ナ・アハン)」
(2)入息「私は誰か?(コーハン)」
(3)呼吸停止「私は彼である(ソーハン)」

(3)が、「止息」ではなく「呼吸停止」になっていることも意味がある。
我々は、水中に潜る等で「息を止める」時、喉の気管を筋肉の力で塞ぐ。
しかし、このやり方は余計な緊張を引き起こすので避けた方が良く、単に呼吸の流れを止めるのである。
それは、そうしようと思えば、意識しなくても、身体は、腹や胸の内部の筋肉を使い、肋骨や横隔膜の動きを止めるなどして、自然に呼吸の流れを止めることが出来るはずである。
出息は、極端でない範囲で、出来るだけ細く、長く行うのが良い。
それにより、体内に取り入れられた気(プラーナ、生命微子などとも言う)を吐き出さずに体内に留めることが出来、結果、生命力を高め、若さをもたらす。
尚、この呼吸法を行う間は、肛門を引き締めると良い。
仙道、仏教、ヒンズー教などには、肛門を引き締める訓練を行う流派が多く、それは、経験上、生命エネルギーが肛門から流出すると感じるらしいが、船が難破した時、これらの僧達は肛門を引き締めることで命を守れたが、一般の乗客は肛門が緩んでしまっていて、早くに命を落としたという話もある。

この呼吸法を空いた時間を見つけ、合計で1日20分程度(慣れればもっと長くても良い)行うことを長く続ければ、自然に、あらゆる超能力を得ると思われる。
また、生命力を活性化させ、健康になり、老化を止め、若返ると思われる。

呼吸中の言葉について、少し補足する。
「私はこれではない」の「これ」とは、大雑把には「身体」と「心」を指す。「私は彼である」の「彼」とは、神のことである。「私は神だ」という言い方を避けるために、このような言い方がよくされる。
尚、「私は彼である」ではなく「私はそれである」という言い方もされる。いずれでも、好きな方でやると良いだろう。








  
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