投資家・事業家のマックス・ギュンターの『運とつきあう』には、成功者が成功した理由を正しく指摘している。
それは「たまたま」だ。
そして、ギュンターは、そのたまたまを増やすために、多くの人と交流することを薦めている。
また、優秀な科学者であるながら経営者でもある田坂広志氏も、著書『運気を磨く』で、「ある研究者」が、多くの成功者の自叙伝などを調べると、「たまたま」」「幸い」「偶然に」という言葉が多く使われていることを指摘したことを取り上げておられた。

NHK大河ドラマ『毛利元就』で、知将、尼子経久が、元就に「策、多ければ勝ち、少なければ負ける」と教える場面が印象的だったが、これも、
「うまい策をこらしたところで、うまくいくのはたまたまなのだから、そのたまたまを多く得るには、所詮、沢山の策を実行しなければならない」
という確率論を言っただけと思う。
私の知り合いの、教育会社の経営者も、
「受験で合格するのは、頭の良さではなく、解き方を知っている問題が出るか出ないかの確率に過ぎないのだから、出る可能性のある問題を黙って覚えれば良い」と言い、「事業の成功もたまたまなのだから、打てる手は全部打たねばならない」
と言っておられた。

塾の事業で成功した栗山天心氏は、このようなことを、
「棚がなければボタモチ落ちず」
と絶妙な表現をされておられた。
つまり、成功は「棚からボタモチ」というべき、「たまたま」であるが、その「たまたま」のボタモチも、棚があってこそ落ちてくるのだから、棚は作れということで、尼子経久の「策、多ければ勝ち、少なければ負ける」と全く同じである。

それなら、どうすれば良いかというと、頭の良い人には、いろいろ難しい方法もあるだろうが、私のような(阿呆な)者には、昨日も取り上げた、七田真氏の『奇跡の超「右脳」開運法』の中のホームレスの男のように、1日中「神様の奇跡が起こる」と唱えるのが良いだろう。
これならば誰でも出来るが、これだって、実は科学的なのだと思う。
「たまたま」成功した人も、よく調べると、実は「たまたま」うまくいく要因があるのだと思うが、それは、マックス・ギュンターが言う「多くの人に会った」という要因以上のことだ。
その要因とは、意外にも、ギュンターの本にも書かれているが「欲張りでなく」、どこか謙虚で控えめで、結果、なりゆきにまかせる一面もあるということだ。それでいて、根気強い。それは、傍目には、「馬鹿」に見えることが多い。良い言い方をするなら「愚直」である。
そんな性質や態度の中に、「たまたま」の偶然を引き寄せる力があるように思う。
それについて科学的な説明も可能と思われ、興味があればその方面の本を見ていただければ良いが、それよりも、幸運の女神は「愚直な者」が好きなのかもしれないのだと思う。
つまり、「神様の奇跡が起こる」というつぶやきを、1日中、何週間も繰り返すのは、「馬鹿」であるが、それは、幸運の女神に目を止めてもらうことが出来る「愛すべき馬鹿」なのだと思う。








  
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