ナチスのユダヤ人強制収容所から生還したヴィクトール・フランクルの『夜と霧』には、生命エネルギーを活性化する秘訣が書かれている。人間のいかなる力も、根源は生命エネルギーであり、それは万能の力と言っても良く、あらゆる大事業を成し遂げる力はそれである。
ユダヤ人強制収容所でのユダヤ人の生活は、普通の日本人には想像も出来ない。就寝のベッドは、横向けになって詰め込めるだけ詰め込まれる。
だが、極寒の中、ロクに着るものもないので、他人の体温が救いになった。枕はなく、枕がないと眠れない者は、靴をベッドに持ち込んだ。動物の糞で汚れた靴でもだ。しかし、そんな中でも、慣れれば寝られるのである。薄いスープと、「馬鹿にしたような」小さなパンだけで、毎日、長時間の重労働を強制され、本当に骨と皮だけの身体になる。また、同じ囚人でありながら、性格が残酷な者が監視人に任命され、一般の囚人達は彼らに、集合に遅れたとか作業が遅かったと見なされた時、あるいは、単に気紛れで殴られる。
その他にも、数え切れない苦難が押し寄せる中、僅かな食事を返上して、代わりに得た煙草を吹かす囚人がいて、煙草を吸い終わると、高圧電流が流れる鉄条網に飛び込んだ。生き残るのは、必ずしも肉体が屈強な者ではなかった。フランクルは、心の中で、新婚の妻と会話していた。それは現実としか思えなかった。他にも、自分の息子と再び会うことを考え続けている者はしぶとかった。
似た話を、「ケンカの鉄人」と呼ばれる林悦道氏の『完全「ケンカ」マニュアル』で見た。第二次世界大戦時、日本の海軍の船が何度も魚雷で沈められ、乗員は船の残骸である板切れに掴まって漂流することがあった。鮫がうようよいる大海原で漂流している時、ほぼ全員が精神の糸が切れ、鮫にやられるまでもなく死んでいった。だが、5回もそんな目に遭いながら生き延びた男がいた。彼は部類の酒好きで、寒い海を、鮫の突進を危うく交わして漂いながらも、岡に戻って大好きな酒を飲むことだけを考え、それはいつも実現した。
個人的な欲望の力は馬鹿に出来ない。プロ野球でも、限度はあるだろうが、チームのためというより、自分のためにプレイする選手の方が成績が良いという話がある。落合博満さんなどは、奥さんの誕生日には高確率でホームランを打ったらしいし、確か、テレビで、「全ての打席でホームランを狙っていた」と白状したことがあったと思う。これは、少なくとも、「大変にチームプレイを重視していた」とは言えないだろう。
他人を貶めたり、恨んだりするのに比べれば、自分の楽しさを追及する方がずっと良い。世の中には、他人に無用な攻撃をしたがる者が多いが、そんな者達は、自分が楽しくないので、そんなつまらないことをするのである。他人に迷惑をかけるなと言うのではないが、そんなことをしていれば、何をやってもうまくいかず、惨めな明日が待っているだけだ。だから、自分のためを思って、人を恐れ、恨みを買わないことだ。そして、自分の楽しみを大事にし、少なくとも、いつもそれについて考えていれば、生命エネルギーに満ち、それにつられて周囲は変化し、好ましい状況になるだろう。世界は、そのように出来ているのだと思う。




  
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