私は今日、親の付き添いで病院に行き、改めて、我々は世間のデタラメな健康の観念を捨て、極めて簡単な健康になる方法を選択すべきと思った。病院に行く人々の多くは、不必要な不幸を抱えてしまっているように思えてならない。

個人的には、私は、男で逆三角形のムキムキボディで腹筋がバキバキに割れていたり、女ならウエストがくびれ、筋肉質なお尻がぎゅっと上がっている・・・などというのは、どれも気持ち悪いし、全く美的に感じない。私なら、普通に、ジーンズとTシャツ姿がすらりとしているのを美しいと感じる。
偏った運動で、無理して作った身体は、故障を抱えているし、いったん、テレビや雑誌から良いと思いこまされた身体を作るモチベーションがなくなれば、肥満し、病気になる場合が多い。
だが、適度な節制や運動で、無理なく、健康と美しさが維持されている身体は、歳を取ってもそれほど衰えることはない。
節制と言っても、超少食とか、糖質の極端な制限とか、菜食主義等は必要ない。
ちゃんと満足出来るだけ、好きなものを食べれば良く、ただ、食べたくもないのに食べなければ良いだけである。
運動も、普段、ちゃんと歩いていれば、それでほとんど十分で、付け加えるなら、掃除や洗濯ほど理想的な運動はない。
私の場合、やや優れた身体が好きなので、朝晩のトレーニングは欠かさないが、誰でも簡単に出来ることを、1年365日、よほどのことがない限り、欠かさないだけである。

お釈迦様の教えとは、極端を廃した、丁度良い加減を示す「中道」である。
だが、世の中は、極端主義に支配されている。
他の大切な勉強をせず、試験のためだけの勉強ばかりして馬鹿になるか、全く勉強せずに馬鹿になる場合が多いが、いずれも同じ馬鹿であることに違いはない。
スポーツといえば、競技で勝つための無理な特訓をして(させられて)歪んだ身体になる者があれば、全く運動せず身体を退化させてしまってる者も多い。
しかし、バランスの取れた知性と身体こそ、冒険に最も相応しいのである。

身体や頭を賢く育てれば、通常は、老齢になっても医療の世話になる必要はないが、医療そのものも、必ずしも人々の健康に貢献する志はなく、主目的はお金である。
だから、少しの努力で可能なのであるから、我々は、自分で自分の頭脳や身体を健康にすれば良いし、しなければならない。

知性を磨くのに学校や教師はいらない。少なくとも、今の学校や教師に関わるべきではないと私は思う。
人に学びたいなら、古(いにしえ)から言うように、自分以外の誰からでも学べるが、最も良いのは、それぞれの仕事でプロフェッショナルである者に学ぶことで、学校という制度を続ける気なら、仕事のプロに頼んで教壇に立ってもらえば良い。ちなみに、教育のプロなんて変なものはいない。創造的・生産的なことが何も出来ない教師に用はない。
子供は、広いコミュニティに関われば、自然に学ぶのである。
自分の健康と知性に責任を持つのは自分だけであることを、しっかり自覚しなければならない。











  
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