「自慢出来るもの」を持っている人はどれくらいいるだろう?
自慢と言っても、それを鼻にかける必要はないし、かけるべきでもないが、まあ、「他人に負けない自信があるもの」である。
学歴自慢の人は多いだろうが、一番上に東大があるし、その東大にしても、それを自慢するなら、ただの馬鹿だ。また、それしか自信がないなら、やはりつまらない人間と言えるだろう。
本当に自信になるものとは、自分の意志で選択し、自分の力で掴み取ったものだ。
学歴なんてものは、世間に選択させられ、親の金や教師や予備校に与えられたもので、実際は何の自信にもならない。

絵が上手いとか、空手の有段者と言っても、上には上が、そして、上は沢山いる。
それらの分野でも、本当に出来る者は、むしろ、自分の至らなさを知っているので、自慢などはしないし、自信はあっても控え目である。

ところが、面白いことに、空手であれば、有段ですらなくても、長期間に渡って修行を欠かさず継続していれば、自分を支える自信になる。
そもそも、段位なんて、実力が落ちても下がることはないのだから、ある意味、変なものである。
学歴だって、それを得た時点では優秀だったかもしれないが、すっかり学力が錆び付いても剥奪されることはないのだから、確かに、何の自慢にもならなくて当たり前のものであろう。
部長と言ったら、名前だけのことが多いだろうし、社長と言っても、会社の業績が良く、社員が楽しく働いてないなら、その名に価値はない。
ところが、部長らしいことが出来るよう自主的に努力したり、世の中に貢献し、社員の幸福を支える心がけで長年やっていれば、それが自信になるはずだ。

こうして考えると、自信の正体が見えて来る。
自信をもたらすものは、志と自主的な行動である。
それがあれば、世間的な尺度はどうでも良いことである。
単に美人でスタイルが良いというだけでは、自信のなさを表す自慢をするが、例えば、モデルや俳優が、世間の人達の模範になれるよう、美しい身体を維持し続けているなら、身体が自信になることはあるだろう。
そんな人というのは、「私には身体しか自慢になるものがありません」といった、謙虚な態度で、自慢もしないものだ。

ExcelのVBAにしたって、会社に強要されてではなく、自分の意志で勉強して習得し、ずっと磨き続けている人なら、自慢どころか、「他に特に出来るものはない」と言って密かに技術を向上させ続けるものである。
それで何か成果を上げた場合は、自慢ではなくても、達成感は感じて嬉しいものだろうし、自信にもなるだろう。

以前、優秀な東大生が、東大受験の際に、参考書1冊を完全に覚えてしまったことを書いたが、東大に入ったことより、むしろ、そのことが自信になるような気がする。
誰もそんなことをしろとは言わなかったからだ。
およそ、他人にやれと言われたことをやって、それがたとえ良い結果になったとしても、「自分は配下である感」が大きく、さっぱり自信にはならないものだ。
だから、良い予備校の指導で大学に入ったら、自慢はするが、自信はないものなのである。

自分の意志で選んだことを、長く継続すれば、それが自信と力になる。
ちなみに、国家は、それを国民がやることを嫌い、邪魔をする。
そんな者は、配下の臣民ではなく、奴隷でないからだ。








  
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