偉大な人間で、瞑想をする習慣のない者はいないという話がある。
もちろん、そんなことは証明出来やしないだろう。
そもそも、瞑想とは何だろう。
基本的には、しばらくの間、じっとして、心を静かにすることと思われ、日本では坐禅が代表格と思われる。
キリスト教のお祈りや、神道の祝詞といったものも、瞑想に導かれるかもしれない。
だが、実を言うと、瞑想とは、単に、ぼーっとすることであり、それで言えば、誰でもやっているのであるが、特に偉人は、「しっかりと」ぼーっとするのである。
その意味では、確かに、偉大な人間は皆、瞑想をしている。

一般の人で、坐禅や静坐などの形で習慣的に瞑想をする者は少ない。
また、普通の人は、偉大な人間ほどには本格的にぼーっとせず、いつも何か余計なことを考えているのである。
偉大な人間は、瞑想中・・・つまり、ぼーっとしている間、深い眠りについているかのように、何も考えない。
つまり、本当に心を無にすれば・・・忘我、没我、無我の状態になることを、毎日の習慣にすれば、世界を動かせるようになれる。偉人のように。
だが、そのために坐禅などをしない方が良い。
なぜかというと、人間とは飽き易いものだからだ。
だから、「坐禅で瞑想する」と決めても、すぐに坐禅に飽きてしまって続かないのだ。
けれども、習慣にしないと、何事も、なかなか続けてやらないのも確かだ。
そこで、奨められるのが動禅である。
坐禅、静坐、あるは、祈りや祝詞等が、飽きてしまって続かないのは、それらのような身体を動かさないことは飽きるものなのであり、習慣化しない。
だが、ジョギングやウォーキングは、最初こそ多少おっくうでも、やがて習慣化し、むしろ、やらないと気分が悪くなることもある。身体を使うものは、習慣化し易いのである。

腕振り運動は、最上の動禅である。
自然に立って、両腕を同時に前後に振るだけの簡単な運動である。
発明者は、一説では達磨と言われ、達磨はこれを中国に伝え、これが気功や高度な武術に取り入れられたのだと思われる。
これには、願いを叶えたり、難病を治す力があると言われ、これを熱心に行い、また、普及させた、電波工学の世界的権威、関英男博士は、これを毎朝2千回行うことで、胃癌を治し、90歳を超えても世界を飛び回って研究活動を続けていた。

腕振り運動のやり方は、案外にヴァリエーションがある。
基本は、肘を伸ばし、同時に前後に振るのであるが、後ろに振る時に力を入れ、前に振る時は力を抜いて惰性で行うというものである。
逆に、前に振る時に力を入れ、後ろに振る時に力を抜く方法もある。
関博士のやり方では、てのひらを内側に向けることで、てのひらにクォークを発生させると言われるが、気功の修派によっては、てのひらを下に向ける。
だが、私は、腕は構造上、てのひらを内側に向けた方が無理がなく、痛めないと思う。
また、肘はずっと伸ばしたまま行うやり方が多いが、腕が前に来る時には肘を曲げるやり方もある。
まとめると、
(1)肘を伸ばして振り、後ろに振る時に力を入れ、前に振る時に力を抜く
(2)肘を伸ばして振り、前に振る時に力を入れ、後ろに振る時に力を抜く
(3)前で肘を曲げた状態から、肘を伸ばしながら後ろに鋭く振り、ゆっくり前に振りながら肘を曲げる
(4)後ろで肘を伸ばした状態から、鋭く腕を前に振りながら肘を曲げ、力を抜いて肘を伸ばしながら後ろに振る
の4パターンがある。
4パターンあれば飽きないし、腕や肩の筋肉が万遍なく適度に鍛えられるメリットがある。
1日トータルで400回以上行うと、健康になり、願いも叶い易くなる。
2000回以上だと、相当な効果があると思われる。
尚、腕降り運動は、腹に力を込めて行うのが秘訣であり、それにより効果は非常に大きくなるが、腹から力が抜けていると効果が出難いかもしれない。力を込める場所は、臍のあたりが良いと思う。








  
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