昔、会社で、パワハラに対して、今のように厳しい目を向けられなかった時代のことだが、勤務してた会社の若い女性社員が、こんなことを言っていた。
彼女の妹が、短大を卒業して就職したが、毎日泣きながら帰って来ると言う。
ただ、別に、彼女の妹が、特別に厳しい職場にいる訳ではなく、要するに、学生の時の甘い環境に慣れていた妹には辛く感じるというだけのようである。
まあ、彼女の妹のような人は、女に限らず多いが、普通は、やがて逞しく鍛えられ、平気で働けるようになるが、はっきり言って、そんな者は、家庭の中で甘やかされ過ぎたのだと言える。

子供のためを思うなら、ある程度は厳しくしてあげた方が良いのだが、適度に厳しく躾けられた子供は少ない。
親にバランス感覚がないのである。
それで、子供に理想を押し付けて過度に厳しくする親がいる一方、過度に甘やかして子供を駄目にしてしまう親かの、いずれかに偏っているのである。
厳しいというのではなく、親の人間性に大きな問題があって、子供を虐待したり放置したりもあるが、今回は、それは置いておく。
今は、子供を甘やかす場合が多いのだと思う。

マンションなどでは少し様子が違うが、住宅地では特定の曜日に特定の場所にゴミを出すのだが、家の旦那がゴミ出しをしているのは普通に見るが、二十歳以下の若い人がゴミ出しをしているのを見た記憶が私にはない。
こんな簡単なことは、いくら何でも小学5年生になれば出来るのであるから、子供にやらせれば良いはずである。
小学生の時からゴミ出しをさせられた人は幸福である。そうやって得た、まともな思考形態は、即座に役に立ち、社会でもうまくやっていける人間になれる可能性が高まるのだからだ。
かくいう私も、小学生の時どころか、大学生、ニート(笑)、社会人になってからすら、一度もゴミ出しをしなかったので、こんなになってしまった(今はやっているが)。
(数年前、元プロ野球選手の長島一茂さんがテレビで、「僕は子供に何も買ってやらなかった。なぜなら、僕は子供の時、何でも買ってもらえたから、こんなになっちゃった」と言って笑いを取っておられたが、顔はマジだった)
私も、ニート明けに社会人生活を始めた頃は、やはりひどく厳しく感じたが、おそらく、普通のことだったのだろう。
もっとも、私の場合、最初の仕事がセールスマンで、極寒の冬、深夜0時まで、セールスで街を彷徨っていたものである(当時でも法律違反だが、ブラック企業だったので)が、今考えると、どうということはない。まあ、多少鍛えられて、本当に良かったという感じだ。

まあ、子供の時に甘やかされたなら仕方がない。
そんなに極端にする必要はないので、自分を甘やかさず鍛えることだ。これは、甘やかされた自覚が大きい私は、大真面目にやっていた。とはいえ、最近は、自分に甘くなってきたので、ちょっと気合の入れ直しが必要である。
スェーデンの万能の天才で、神秘学者として有名で、あのエマーソンが人類の中の5人の1人に選び、ヘレン・ケラーも崇拝していたエマニュエル・スウェーデンボルグ(今はスウェーデンボリと表記されることが多い)が、こんなことがあったと本に書かれていた。
彼がイギリスに亡命中、レストランで食事をしていて、ちょっと食べ過ぎたと思った時だ。
天使が現れて、「満腹するまで食べて自分を甘やかさすな」とスウェーデンボルグに言ったそうだ。
この、「満腹するまで食べない」というのが、最上の自分の鍛え方の1つと思う。
軽めのものでいいから、何か自分に掟を課し、いかなることがあってもそれを守る(他者に不利益を与えたり、他者の心を不当に害す場合は別)ことをすれば、1年くらいでも、多少鍛えられるはずである。
「アジマリカン」や「南無阿弥陀仏」を唱えようが、自分に甘い者は駄目である。
ただし、何度も言うが、厳し過ぎるのも駄目である。あまりに厳しい課題を持つのは、歪な欲望が基になっている場合が多い。
完全に断酒しなくていいから、ビールならロング缶(中ジョッキ相当)2本、日本酒なら一合といったふうに、限度を決めれば良い。
要は、決めた時間に、決めた量を食べて飲むことだ。
また、決めた時間に、腕降り運動200回とか、腕立て伏せ5回とかを、よほどのことがない限りやるのも効果的だ。
その程度で良いが、逆に言えば、その程度が出来なければ、何をやっても駄目と思う。











  
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