アニメ『BEATLESS』を見ていたら、ちょっと面白い場面があった。
時は2105年。
オーリガ(15歳。ロシアの血は入っているが日本人)が、ユカ(14歳。日本人)に、こう言う。
「単細胞生物から人間まで、生き物の原動力はすべからくエロとグルメ」

原作では、もう少し複雑なのだが、原作でユカが最後に到達した理解が、
「ご飯を食べてエロいことをするために、ここまで来たんだ。生き物の執念、超すごいね」
だった。

残念な少女達と思えるかもしれないが、そんなに間違った解釈ではない。
人間は、平安な生活を求め、十分な食べ物を得るために働く。
しかし、お金があって、平安になり、働かなくても美味しいものが食べられるようになると、刺激や愛がひどく欲しくなる。
マズローの欲求の5段階説なんてものがあったような気もするが、それすら、エロとグルメの質のことに過ぎないのではないだろうか?
つまり、人間は進化するほど、低レベルなエロとグルメではなく、精神的にも満足出来る、ある意味、高貴なエロとグルメを求めるのではないだろうか?

エロやグルメを完全に断ったと宣言する人もいるが、そんな人というのは、名誉欲が異常に高い場合が多く、また、無理をしているので、幸福を装っていても不自然なものだ。
やはり、自分が求めるレベルのエロとグルメが人間には必要なのである。
そして、素直にそれを求めるから、人間は冒険に挑む勇気や情熱を持つのである。
エロとグルメが待っていない冒険に、誰が危険を冒すだろう?
そして、冒険をしない者は、低レベルのエロとグルメしか求めてないのであり、優れたエロとグルメを諦めているのである。

本当のことは、おそらく、神は自分の分身である人間を通し、物質世界を楽しみたいと思っている。
つまり、人間が面白いことをすればするほど、神は喜ぶのである。
ただし、低レベルな面白さは不要なのであり、本当に面白いことをするためには、冒険をしなければならない。
その、冒険をしようという原動力が、エロとグルメなのだ。
冒険をすれば、素晴らしいエロとグルメにありつけるからだ。
つまり、神の意に沿う活動のエネルギーは、やっぱり、より優れたエロとグルメなのである。
だから、エロとグルメを大切にし、くれぐれも、高いものを求めるべきである。
古事記もギリシャ神話も、エロとグルメに満ち溢れているのは、これらは生命の原理を描いているのだからだと思う。








  
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