「男盛り」「女盛り」という言葉は、よく見聞きするが、自分の年齢によって、その言葉を見た時や聞いた時の印象が変わる。
一般的だと、男盛りと言えば30代を指すように思うが、私は子供の時は、「30なんてオッサンじゃないか。どこが男盛りだ」と思ったものだった。
だが、やはり、男盛りは30代が定説のようで、世界のイケメン、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』を紹介する書籍で、当時のドロンについて「24歳の美貌盛り」と書かれていたのが印象的だった。
つまり、男というのは、世の中を動かしてナンボというところがあり、外見の格好良さと合わせて考えれば、やはり30代が男盛りとなるのだろう。
もっとも、今の30代は非常に若々しい人が多く、むしろ、昔の男盛りのイメージは40代になった感じもあるが、やはり、昔通り、40代ですっかりオッサン臭くなる人も多い。
ただ、さっき、24歳のアラン・ドロンを「美貌盛り」と表現した話をご紹介したが、一般的には、若さ溢れる、外見が最も良い10代や20代の男を、ナントカ盛りと言うことはない。まあ、美男子がそんなに多い訳ではないと言うより、男はやはり、外見より力であるのだろう。
だから、財力がある上に精力的であったり、特に腹が引き締まっているなど、外見的に若々しい50代や60代の男を「男盛りを保っている」などと言うことはよくあると思う。

女盛りも、男盛りと似たところがあり、20代の美女を女盛りとは言わない。
確かなしたたかさを持ち、魅力を保ちながらも軽く扱えないようになって初めて、女盛りと言われるので、30代はもとより、むしろ、昔から、女盛りを40代と言う場合が少なくなかった。
男の「美貌盛り」はあまり言わないが、女の場合は「娘盛り」という言葉はよく使われた。
もっとも、娘盛りという言い方が、現代ではあまり良いイメージがないのか、聞かなくなったと思う。
日本においては、特に昔は、娘盛りは17歳くらいであったと思われる。
だが、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』に、こんな場面がある。
娘が消息を絶った町人が奉行所に届け出ると、こんな会話になる。
「娘の歳は?」
「十四でございます」
「娘盛りじゃな」
「はい」
そして、危うい時期だから、取り戻すのは難しいということになり、奉行所は何もしないということになってしまう。
『木枯し紋次郎』では、大きな役割を果たす女性の登場人物は、特に若くても17歳以上なのだが、それでも、14歳で既に娘盛りということになるのだろう。
娘盛りという言葉こそなかったが、長谷敏司さんのSF『BEATLESS』で、ヒロインのレイシア(アンドロイド)についての記述が印象的だった。
アラト(17歳男子)には、レイシアが自分より1つほど年上に見えたが、長谷さんは、そのレイシアを、女性として最も美しい時期の手前といったように述べたのが、文章としてレイシアの美しさを際立たせたように感じる。
ミリオンヒットという訳でもないのに、今でも人気がある、谷村新司さんの『22歳』という1983年の楽曲が、まさに微妙な年齢をついたものである。
22歳は、女性にとって、ある意味、最盛期でありながら、大学4年生と言えば、どこか下り坂のイメージもあった。
ただし、それはもう古い時代のことで、今、そう思うとしたら、やはり時代遅れだ。
最も格好の良い女のイメージは、年齢的にはもっともっと高い。

現代は、男も女も、男盛り、女盛りを指す特定的な時間的年齢はなくなってきた。
ピカソは「60代が芸術家の青春」と言ったが、それなら、もそっと外見を引き締めろよと言いたい気分はあるが、現代は、芸術家でなくても、そう言っても、それほどおかしくないし、今後は、もっとおかしくなくなる。
むしろ、美魔女とか言って、外見を20代のように見せようと必死になる方が衰えを感じさせる。
いくら若作りしたって、目の前で見れば、ひどく不自然なものだ。
しかし、30代でも40代でも、あるいは、50代以上でも、節制さえしていれば、そのままで全く悪くない。
20代に見せなければという意識が、むしろ老化を作るように思う。
それに、年齢を忘れた方が、年齢を感じさせないものである。
大切なことは、やはり節制、そして、未来をデザインしつつ今を生きることである。
これは、男も女も変わらない。








  
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