大半の人が、心が晴れないように見える。
まあ、周囲を見渡してそうなのだが、少なくとも、日本では当たってるのではないかと思う。

なぜ、心が晴れないのかというと、不安があるからだし、恐怖を持っている人すら少なくない。
では、皆、イエスの教えに反している。
なぜなら、イエスの教えは「心配するな(汝、明日を思い煩うな)」で、つまり、「神様が面倒を見てくれるのだから、心配は無用」ということだ。
しかし、いたるところに、神様に面倒を見てもらえていない(ように思える)人々がいる。
病気になったり、事故に遭ったり、パワハラやセクハラを受けたり、失業したり、殺されたり・・・
だが、それは、イエスの教えを適用するなら、不安や恐怖を持っていたからだということになる。
とりあえず、その通りだとする。

だが、不安を持たない人間はいない。
しかし、そうだからこそ、分かることがある。
それに関して、ある印象的な出来事を私は覚えてる。
経営する会社の上場を果たしてから数年の社長に、経営コンサルタントが尋ねた。
「株価は気になりますか?」
すると、社長は、こう答えた。
「初めの頃は気になりましたが、今は全く気にしていません」
経営コンサルタントは、ちょっと顔をしかめた。つけ入るチャンスはないのだ。
その社長の会社は業績好調で、その後も好調が続いた。社長は、会社に不安を持っていなかった。
ところが、その社長は、自分の子供の行く末には不安を持っていて、良い大学に入り、良い就職が出来るよう、自ら関与した。
結局、彼の子供たちは駄目になった。
彼は、子供たちのことも、あまり心配せず、出来るだけ放っておけば良かったのだ。

一見、明るく、自信たっぷり、あるいは、脳天気で、不安など全くないように見えるが、どこか不自然な人っているだろう。
明るいが、明る過ぎたり、自信があるふうだが芝居がかっていたり。
つまり、そんな者たちの平穏な態度は見せかけで、心の中には不安がいっぱいなのだ。
そんな者たちには、悲惨な未来が待っている。

上に述べた社長から、私はよく、ぼーっとしろと言われたものだ。彼は、それが経営の、そして、あらゆることの成功の秘訣であることを知っていたのだろう。
下に著書を紹介する画家の足立幸子氏や、UFO研究家の矢追純一氏らは、その著書の中で、決意したらぼーっとすることを薦めておられる。
ぼーっとすれば不安は入り込まない。
それがイエスの説く、幸福の秘訣なのだと思える。
親鸞も「南無阿弥陀仏」は、お祈りではなく、既に救ってくれたことへの感謝なのだと述べた。そう思って安心すれば、親鸞が別のところで説いた通り「この世の利益に際限はない」のである。
「アジマリカン」を唱えれば絶対なのであるから、安心すべきである。








  
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