AI(人工知能)の時代には、人間は創造力がより重要になる。
人間の創造性はアイデアに現れるが、よく企業などで「アイデアを出せ」なんて命じるが、強制され、難しい顔をして「アイデアを出そう」としても、創造性が発揮されるはずがない。
アイデアは、何も考えずぼーっとしている時に、不意に「降ってくる」ようなもので、理屈で考えている間はアイデアは出ない。
ロジカルシンキング(論理思考)やクリティカルシンキング(批判的思考)は必要としても、それらに凝り固まった頭にアイデアは降ってこない。

AI(人工知能)という言い方は、本当は改めた方が良いのだが、一般化した言葉を変えることは、なかなか出来ることではない。
だから、当面は、あなた1人が、正しい言い方をすれば、あなたは創造性を発揮し、世間を超越し、影響力を発揮出来るようになる。
今後は、EI(拡張知能)と呼ぶのが正しいが、これの難しい理屈は学者先生がうんたらかんたら言ってるから、一般の人々は当分混乱し、あなたが先行する期間は長くなり、あなたは安泰だ。
EIの代表は、長谷敏司さんのSF『BEATLESS』に登場する美少女アンドロイド、レイシアだ。
レイシアは常々、「私は道具です」「私を何に使いますか?」とアラト(主人公。17歳男子)に問う。
旧AI、即ち、EIは、我々にそう問うのである。
アラトは、レイシアをうまく使えない自分を責めるが、最初はそんなものである。
つまり、EIは人間を手助けし、人間の能力を拡張するものであり、別に、人間のライバルになって、人間の仕事を奪うものではない。
人間がやりたくないことを代わりにやってくれて、人間は得意なことをやればよくなる。
自動車の運転は初めは楽しいが、やがて飽きてくる。
最初は創造的だが、やがて機械的になるからだ。なら、機械にやらせれば良い。
ただ、いつまでも、ハンドルを握るのが好きだと言う人は、運転という行為に、何らかの創造を行っているのである。
だが、見栄や優越感で高級車に乗って楽しいというのでは、あまり創造性はない。そして、やはり、単なる移動手段であれば、EIに任せておけば良い。
そもそも、AI(人工知能)という言葉は間違いで、機械が思考したりはしない。
機械は、沢山の関連したデータを学習して、データの中に何らかのルールを発見し、そのルールを使って、新たなことに対処するだけだ。
簡単に言えば、例えば、雨が降ってくれば、人々はいろんな反応をするが、その反応を学習すれば、雨が降ってきた時、その降り具合や道の状況等から、「傘を差す」「車に乗る」「喫茶店に入る」「走る」「何もしない」等のどれを選ぶべきかを推測するのである。
雨が降ってきたら、フレッド・アステアの『雨に唄えば』のように踊れば面白いというアイデアを出すのは人間だ。
雨が降ってきたら、レイシアはアラトに「車に乗りましょう」とか「ショッピングモールに入りましょう」とは言っても、「踊りましょう」とは言わない。
しかし、アラトが「レイシア、踊ろう!」と言うのは有りなのだ。

ニーチェは「気まぐれは貴族の特性」と言ったが、正しい意味で我々は貴族にならなければならない。
ニーチェも、そう考えていたはずなのだ。
気まぐれは機械には出来ないが、人間の気まぐれは「新しいことを始める」ことである。
Kaggleの創業者の若き天才アンソニー・ゴールドブルームは、2016年、TEDで生まれたばかりの姪っ子に「常に新しいことを始めなさい。そうすれば機械に負けない」と言ったが、ある意味では「常に気まぐれを起こしなさい」ということだ。
『ルパン三世』の最初の作品だって、コンピューターを駆使してルパンを逮捕しようとするガニマール三世に対し、ルパンは「コンピューターに勝つには気まぐれだよ」と言ったではないか。なんと、半世紀進んでたんだよ、ルパン三世は。
いや、ルパン三世の、あの阿呆さ加減は創造的で、機械になど負けたりせず、機械をうまく使うだろう。

そうそう。機械は呪文を唱えない。
「アジマリカン」とか「ありがたい」とか、「オン、アロリキャ、ソワカ」とか「南無阿弥陀仏」などと唱えると、宇宙の向こうからアイデアがやってくる・・・かもしれない。








  
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