あまり知られていないが、江戸末期に、黒住宗忠(くろずみむねただ。1780-1850)という偉大な神道家がいた。
あくまで伝説であるが、キリスト並に、人々の病気を神秘力で治し、嵐も静めたという。
私は、彼の伝聞を見ると、おそらく、彼は本物であったと思う。

黒住宗忠の、こんな話があるが、それは、ほぼ同時代の農民で、妙好人(徳の高い浄土系仏教の一般の信者)として知られる因幡の源左(いなばのげんざ。1842-1930)にも、よく似た話がある。
因幡の源左の話を先にすると、こんな話だ。
源左の畑で、芋が掘り起こされて盗られていた。
それを見た源左は、畑に鍬を置くようになった。
その理由は、「手で掘って怪我をしたらいけないから」であった。
黒住宗忠の方はこうである。
ある夜、宗忠が寂しい道を歩いてると、追い剥ぎに遭い、刃物を突きつけられて、「十両出せ」と脅された。
すると、宗忠は、「済まぬが五両しかない。残りは近日中に必ず」と約束した。
宗忠は、ちゃんと金を借りて、約束の場所に金を埋めた。
それを得た追い剥ぎは後悔し、宗忠に金を返しに行き、宗忠の門下に入った。

黒住宗忠も、山蔭神道のように、何か特別な呪文でも残してくれたら良かったのであるが、それはない。
それはないが、なくもない。
宗忠は、ハンセン氏病(かつての「らい病」)に罹った武士に、一日一万回「ありがたい」と唱えることを指示し、武士がそれを真摯に実行すると、有り得ないことだが、一週間で完治した。
宗忠本人も、常々「ありがたい」を口にしていたと言われる。
因幡の源左は、浄土仏教の信者であり、学はないが、一時期、熱心に僧の教えを受け、当然、「南無阿弥陀仏」の念仏を常に唱えていた。
ついでに言うと、源左も追い剥ぎに遭っている。源左が集金した金を持って歩いていると、それを狙って追い剥ぎが付いてきた。源左はそれに気付いていて、良い頃合で追い剥ぎに近付くと「金がいるならやるよ。だがまあ、ついてきなさい」と言って家に招き、食事を振る舞った。追い剥ぎは反省し、謝罪した。
「南無阿弥陀仏」でも「ありがたい」でも「アジマリカン」でも、好きなものを、毎日、数多く唱えると良い。
期待を裏切ることはないだろう。








  
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