人間の脳というのは、全てを小さく考える性質がある。
なんて言われたら、「はあ?」と思うだろう。つまり、何も思わない。だから、反応に困って、「はあ?」と言いたくなるのだ。
人間って、頭が悪いからね。
しかし、こう言えば、少しは見当がつくだろうか?
皆さんは、大抵が、私同様、庶民だろう?
いや、「ど庶民」だろう。
まあ、ど庶民でない人もいるだろうけど、まずは、ど庶民の話から始める。
富豪の家は、普通、大きい。
そんなこと、解っていると思うかもしれない。
ところが、実際に富豪の豪邸に行って、平然としている人なんていない。
皆、「うわー!」と言って、驚愕したり、感激したり、呆気に取られたりするのだ。
つまり、たかが、「まかりまちがえば、自分もなれたかもしれない」程度の富豪の家すら、想像したことがなかった・・・いや、出来なかったのだ。
そして、日本で富豪と言ったって、アラブの富豪の家に行ったら、絶句してしまうのだから、他愛ないものだ。

世界は広いなんて言うが、ほとんどの人は日本の広さだって分かっていない。
私はある時、大阪から長野県まで車で行ったことがあるが、5時間ほどかかった。
その時、周りの風景を見ながら、なんて遠い距離だと驚いたが、これですら、日本全体の一部でしかない。
ただの距離の問題だけでなく、社会の広さというものもある。
私は、人間というものが、いかに自分がやっている仕事基準で社会全体を見るのかを知っている。
大工は大工基準で、トラック運転手はトラック運転手で、物理学者は物理学者基準で社会を見ている。
だったら、人間ってのは偏見だらけで当たり前だ。
私なんて、プログラマーとセールスマンの仕事以外はピンと来ないが、世の中には途方もない種類の仕事と、それぞれの世界があるのだ。
そんな私でも、例えば、学校を出てから、予備校の先生だけをやっていたという人と話すと、その世界の狭さに驚くのだが、もちろん、もっと広い世界を知っている人から見れば、私も予備校の先生専門の人も、ちっとも変わらない。

アニメ『灼眼のシャナ』で、サブラクという恐ろしく強い異世界人の男は、同じ世界から来たメアという美少女が好きだったが、メアは弱過ぎた。それで、メアはサブラクを恐れて去っていくのだが、サブラクは、なぜメアが消えたのか解らない。
ところが、サブラクは、やはり同じ世界の「祭礼の蛇」という存在を目の当たりにし、初めて、恐れというものを感じる。自分が強いと言ったところで、あの「祭礼の蛇」と比べたら、あまりに弱い。そして理解する。メアが自分に感じていたのは、この恐れに似ているのだと。しかし、「祭礼の蛇」から見れば、自分もメアも変わらない。
その「祭礼の蛇」と一体化した坂井悠二とガチで戦うシャナは大したものだ。
つまり、シャナは、不思議なことに、恐れのリミッターが外れているのだ。

人間の脳には、思考を狭く制限するリミッターがかけられている。
それが外れた時が悟りである。
それが外れたら、実に愉快である。
まあ、一瞬外れるということはあるが、その時、人間は、とてつもない愉悦を感じる。
しかし、そんなことがあったとしても、忘れてしまうのだ。
私は、今朝の夢の中で、そのリミッターが外れた。
それはもう凄い。何でも分かってしまうのである。
宇宙人に実際に会った訳ではないから、宇宙人の実態を知らないことは認めながらも、「宇宙人は存在しない」という考えが、おかしいとか、馬鹿馬鹿しいというより、どこか「お茶目」に感じるのだ。つまり、ユーモアだ。
そんな訳で、宇宙人がいるってことは完璧に分かり、そんな宇宙人に会えないなら寂しいことだが、会えないはずもないことも分かる。
やっぱり、リミッターは外すに限る。
まあ、今すぐ完全に外れたら、ちょっとヤバいかもしれないがね(笑)。
どうやって外したかは見当がついているが、今言うと、ちょっと嘘くさく感じられてしまうかもしれないから、上手い言い方を考える。
乞うご期待と言ったところだ。








  
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