人類はどうやって滅びるのだろうか?
1956年のアメリカ映画『禁断の惑星』のように、地球人類より1万年も進んだアルテア第4惑星人が、意識を具現化する装置を作ったら、潜在意識の奥底にある破壊衝動が星の住民を皆殺しにする・・・はないだろう。
いくら何でも、そんなに進歩した者達が、潜在意識の奥底に悪いものがあるかどうかくらいが解らないはずはない(多分・・・)。

ところで、私は、1967年のイギリス映画『火星人地球大襲撃』という映画が好きなのだが、この作品では、地球人よりはるかに進歩した文明を持っていた火星人が滅んだ理由は、「異分子の排斥衝動」だった。
許容度のレベルという問題を無視して言えば、「自分と同じでない者は敵」という観念が、滅びをもたらしたということで、これは我々にとってリアリティがある。
人類の争いの歴史は、グループ同士の喧嘩から戦争に至るまで、根本的にはこれが原因と言って良いと思う。
いじめ、差別も、その問題の本質はそこだ。
人間は、似た者同士で徒党を組み、自分達と似ていない少数者・弱者をいじめ、差別し、虐げ、排除したがるのだ。

永井豪さんの漫画『デビルマン』や、その映画化作品『デビルマン』(2004)にも、似たところがあった。心は人間であっても、身体が悪魔であれば、政府は問答無用で殺害するばかりか、悪魔であるという疑いがかかっただけで、昨日まで仲良くしていた近所の人に虐殺される。作品には、少々極端な部分もあったが、人間が自分と同じでないものを嫌悪する・・・つまり、自分と同じでないものが増えると自分が排除されるかもしれないという恐怖から、理性を失った狂気に陥りやすいというのは本当と思う。
学校でも、会社でも、変わり者が出しゃばると・・・まあ、タダでは済まない。

ところで、『まちカドまぞく』という、伊藤いづもさんによる4コマ漫画と、そのアニメ作品がある。アニメは原作漫画に忠実で、セリフも全く同じである場合が多い。
あくまでコミカル(喜劇的)な作品なのであり、面白さも抜群なのであるが、私は、単に面白いというだけでなく、すっかり心酔してしまい、全12話のアニメを、現在、18回目の視聴をしているが、見る度に感激するのである。少なくとも393回は観ると思う。
このお話は、吉田優子という名の高校1年生の少女が、一夜にして魔族として目覚め、角と尻尾が生え、それらは、常に露出しており、かなり目立つ。
だが、優子は、自分の身体の変化に、一応は驚きながらも、ごく当たり前のように、いつも通り学校に行く。仲の良い友達も、とりあえず、「角、生えてる?」と優子に聞くが、だからといって、どうということもない。
となりのお姉さんも、いつもと変わらず、優子に普通に挨拶するし、先生(若い女性)も、おそらく以前からそうであったように、角と尻尾が生えた優子に優しいし、熱心に構ってくれる。
なんと素晴らしい世界だ。
そうだ。角が生えようが、活発に動く尻尾があろうが(優子の尻尾の動きの可愛さは、アニメ制作スタッフの苦心の賜物に違いない)、そんなこと、確かにどうでも良いではないか?
私なら、いつも見る可愛いあの子に(別に他の誰でも良いが)、角や尻尾、あるいは、羽(エンジェルの羽でも悪魔の羽でも)があろうが、元気であれば、気にしない。
皆がそうである世界に住みたいが、現実はなかなか厳しい。
しかし、そんな世界を見せてくれるこの作品が出たことを、非常に嬉しく思うのである。
魔法少女、桃が、優子に向ける笑顔に癒されまくっている。








  
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